レース参加とオートバイ製品の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 09:48 UTC 版)
「ドゥカティ」の記事における「レース参加とオートバイ製品の歴史」の解説
「ドゥカティ・コルセ」も参照 ドゥカティは比較的初期の段階からレース活動を積極的に続けており、レース活動で得たデータを活かして公道用市販車の開発に積極的に役立てるのもドゥカティの特徴の一つとなっている。他のメーカーでもレース活動から公道用市販車へのフィードバックは行なわれているが、公道用市販車がレース活動で使われている車両とこれほど密接な関係にあるのは珍しい。 1946年 - クッチョロ(Cucciolo、子犬の意)生産開始。50cc1.25馬力で最高時速50km/h。 1954年 - エンジン設計主任としてファビオ・タリオーニ(Fabio Taglioni )がFBモンディアルから転職、1955年3月にはカムシャフトをベベルギア駆動する100ccOHCエンジンを搭載した100ccグラン・スポルト・レーサー、愛称マリアンナ(Marianna )を設計。 1956年 - 世界グランプリに参戦、125ccGP用レーサーにドゥカティとしては初めてデスモドロミック機構を採用。 1956年 - マークIIIシリーズに市販車として初めてデスモドロミック機構を採用。 1964年 - 5速ミッション採用。 1964年 - 後ろ側エンジンマウントの幅を拡げ、ミッション、オイルポンプが強化された。これ以降のエンジンはワイドケースと俗称される。 1970年 - 現在の主力商品である大排気量Lツインの元祖、750GTをミラノショーで発表。 1972年 - イモラ200マイルレースにてデスモLツイン750ccレーサーがデビュー戦でワンツーフィニッシュ。優勝はポール・スマート(Paul Smart )、2位はブルーノ・スパッジャーリ(Bruno Spaggiari )。 1974年 - 750GTにデスモドロミック機構を搭載しカウルを装着したスポーツモデル750SSをイモラレプリカとして発表。単気筒モデルを製造中止。 1975年 - 750GTを大排気量化した860GTを設計する際デザイナーにジョルジェット・ジウジアーロを迎え、クランクケースが角形になった。 1978年 - マン島TTレースで当時の強敵ホンダRCBを破ってマイク・ヘイルウッドの乗るNCRの900SSが優勝した。 1979年 - マイク・ヘイルウッド・レプリカを発売。 1978年 - 伝統のベベルギア駆動ではなくカムシャフトをコグドベルト駆動する初めてのモデル500SLパンタ発売。以後600SLパンタ、650SLパンタと進化する。 1983年 - カジバと提携。 1985年 - 750F1パンタ発売。同年マイク・ヘイルウッド・レプリカの最終モデルミッレが製造中止となり、ベベルギア駆動からコグドベルト駆動への世代交代が完了した。カジバに買収され傘下に入った。 1986年 - カジバの設計者マッシモ・タンブリーニにより設計されたパゾ発売。 1988年 - スーパーバイク世界選手権が始まり851で最初から参戦、2006年までの19年の間に12人の年間チャンピオンを輩出している。 1998年7月 - カジバ傘下からアメリカテキサスのパシフィックグループ傘下に移った。 2003年 - ロードレース世界選手権の最高峰MotoGPクラスに参戦しホンダやヤマハに次ぐ勝利数を挙げるメーカーとなっている。 2007年 - ワークス契約ライダーのケーシー・ストーナーとドゥカティ・マルボロチームがMotoGPクラスで年間優勝、ドゥカティ初の3部門(ライダーズ、コンストラクターズ、チーム)すべての制覇を成し遂げた。日本メーカー以外のマシンが世界最高峰のオートバイレースで年間優勝したのは1974年のMVアグスタ以来33年ぶり。MotoGPで出場していた車両(デスモセディチ)を基に一般公道走行可能にした車種が発売された。 2012年 - 4月18日、ドイツの自動車メーカーアウディはドゥカティを傘下に持つ投資会社インベストインダストリアル・ホールディングスから株式を取得し、同社を買収したと発表した。買収と同時にフォルクスワーゲングループ傘下となる。
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