フクヤマ以前の歴史終焉論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:36 UTC 版)
「歴史の終わり」の記事における「フクヤマ以前の歴史終焉論」の解説
フクヤマ以前にも歴史終焉論を唱えた哲学者は存在する。ヘーゲルはイエナの会戦、コジェーブは第2次世界大戦の終結に歴史の終わりを見たといわれている。 ヘーゲル、コジェーブの歴史終焉論と、フクヤマの歴史終焉論の歴史段階的な違いは、政治体制論的には共産主義の崩壊以前か、以後かであり、科学技術的には、相互確証破壊が成立するほどの核兵器の有無の差である。フクヤマが主張するように、歴史が終わった要因には人道主義や価値相対主義、平等主義が発達し、人間が精神的に成長した点も大きいが、大量破壊兵器が発達し、あらゆる面において先進国間の武力解決が不合理になってしまったため、結果的に対話と多数決による非暴力的決定という民主主義的な手段を採用せざるを得なくなった側面もある。軍事力が飽和化してしまったために、結果的に軍事力というハードパワーそのものが無意味化してしまったのである。また、他国民への差別意識が軽減され、世界レベルでの普遍的認知が達成されたのは、通信・移動手段が発達して高度な世界の一体化が実現されたため、村民、町民、市民、国民と発達してきた同胞意識が世界市民まで拡大できたという側面もある。差別意識や偏見を軽減するには、十分な意志の疎通が行える通信・移動手段などのコミュニケーション技術の発達が不可欠なのである。太古の時代から、人間は他集団や異民族には残酷かつ攻撃的、差別的に対応したが、顔馴染みの同胞や友人には礼儀正しく、紳士的に振舞っていた。 しかし、フクヤマは歴史をイデオロギー発展史と見た場合、アイデアとしての民主主義理念はヘーゲルが指摘したようにイエナの会戦で完成しており、それ以降は本質的な進歩は起きなかったと述べている。あくまで、それを現象論的に、社会科学的に誰が見ても明らかであると証明されるまで、ソ連の崩壊まで待たなければならなかったというだけである。 また、他にマルクスは『経済学批判』のなかで、共産主義社会の実現を歴史の前史の終わりと指摘している。マルクスもレーニンも、歴史は無限に続く弁証法的発展の過程と考えていたため、基本的に「歴史の終わり」という概念はない。だからあくまでも「前史」の終わりと指摘している。例え共産主義体制が成立したとしても、その体制内から新たな矛盾が生まれ、共産主義体制もいつか崩壊すると考えていた。マルクス、レーニンにとって、一体制が永遠に続くなど、宗教的な迷信となんら変わらず、非科学的な見解であった。ニーチェは、貴族道徳と奴隷道徳の二項対立は人間の本質に根ざしたものなので、どちらかが最終的に勝利するということはなく、歴史には終わりも始まりもないという永劫回帰説を主張していた。 「人類の社会の歴史とは階級闘争の歴史である」というマルクスの指摘は鋭かったが、人間が求めていたのは経済的な平等や生産手段の公有化ではなく、認知の平等であった。また、世界の倫理史のなかに貴族道徳と奴隷道徳の対立を見出したニーチェの直感はまさに卓見と呼ぶべきだったが、ニーチェには弁証法的思考という概念がなかった。フクヤマの歴史哲学は、この二人の長所を取り上げて短所を切り捨てるという、いわば弁証法的に止揚、統合することによって成り立っている。
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