ファン‐ハウス【fun house】
読み方:ふぁんはうす
BMG JAPAN
(ファンハウス から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 01:48 UTC 版)
株式会社BMGJAPAN(対外表記:株式会社BMG JAPAN[注釈 1]、ビーエムジージャパン、BMG JAPAN, INC.)は、1987年から2009年まで存在したソニー・ミュージックエンタテインメント日本法人(以下SMEJ)傘下のレコード会社である。2008年9月まではSME米国法人(旧:ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント、以下ソニーBMG)の日本法人でもあった。本社は東京都千代田区六番町にあった。
注釈
- ^ 登記上の商号は「BMG」と「JAPAN」の間にスペース(空白)がない。
- ^ この当時はアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記はアール・ブイ・シー株式会社として登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ ヒットユニオンはイギリス発祥のファッションブランド「FRED PERRY」を1995年から保有する他、その他ファッションブランドを展開しているファッション衣料の製造販売会社。
- ^ 実際は移籍しなかったが発足時に長渕剛も名を連ね、甲斐バンドは移籍したが、ファンハウス時代の音源を買い戻してEMIミュージック・ジャパンに再移籍した。また、オフコースは発足時に移籍しているが、発足の前年にグループを脱退してソロ活動を始めていた鈴木康博は移籍せず東芝EMIに残留している。
- ^ 1968年から1993年まで在職した。
- ^ 1994年にポリグラム(日本法人)代表取締役社長に就任、1998年にシーグラムの買収によるポリドール株式会社との再編によりユニバーサルミュージック株式会社代表取締役就任。
- ^ 現在はすでに売却している。
- ^ この当時もまだアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記はビー・エム・ジー ビクター株式会社として登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ この当時もまだアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記は株式会社ビーエムジージャパンとして登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ この当時もまだアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記は株式会社ビーエムジーファンハウスとして登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ ファンハウス時代の作品のみ、所属事務所BOWINMAN MUSIC(現・BAJ)が保有。コロムビア時代の原盤権はコロムビアとBOWINMAN MUSICが保有し、代表原盤権はコロムビアにある。2016年の再結成後の原盤権は、所属事務所とソーゴー東京とコロムビアが共同で立ち上げたTYMS PROJECTが保有。
- ^ 原盤権はシンコーミュージックが保有。現在は東芝EMI・ファンハウス時代の作品はビクターから再発売。
- ^ 原盤権は渡辺音楽出版が保有。谷村新司とのデュエット「サライ」を除いては、2002年にドリーミュージックに発売権が移管。
- ^ 原盤権はフジパシフィックミュージックが保有。現在はユニバーサルミュージック/USM JAPANに発売権が移管。
- ^ ビクターはポプコン受賞曲のみ、キング時代の曲は公式な活動記録からは外されており、歌手としてはファンハウス以降が正式な活動期間。
- ^ 原盤権はシンコー・ミュージックが保有。2008年にSPEEDSTAR RECORDSから再発売された。
- ^ a b 原盤権は渡辺音楽出版が保有。現在はドリーミュージックに発売権が移管。
- ^ 原盤権は渡辺音楽出版が保有。
出典
- ^ a b グループ会社再編に関するお知らせ 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、2009年8月24日
- ^ 講演録「私の建築手法」1996年 大江匡「都市へのプロトコル」より 東西アスファルト事業協同組合
- ^ 各種メディアでは、「BMGジャパン」と表記され、6年3ヶ月ぶりに、両社の合併前の名称及び表記に戻った事になった。
- ^ JAPAN 完全子会社化 ソニー株式会社
- ^ (株)BMG JAPAN 役員の変更、執行役員制の導入及び組織改正等について 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、2009年6月1日
- ^ “MILLION オムニバス CDアルバム”. Neowing. 2021年5月28日閲覧。
ファンハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:35 UTC 版)
東芝EMI株式会社(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)に制作ディレクターとして勤めていた元ザ・リガニーズの新田和長が1984年4月に独立し、東芝EMIの全額出資を受けて株式会社ファンハウス(FUN HOUSE, INC.)を設立。新田と関わりがあったJ-POPや歌謡曲系の音楽家が東芝EMIから移籍。東芝EMIが販売元となった。 1988年、東芝EMIにディレクターとして勤務していた石坂敬一が同社取締役に就任すると、新田は東芝EMIから全株を取得し、4月にインディペンデント系のレコードレーベルとする。 のちに東急グループに参加し、Bunkamura内で「TOKYU FUN STUDIO」を設立。ポップス系の販売元をポリドール株式会社に移管したが、歌謡曲とタイアップ系の一部CDは東芝EMIからの販売が継続された。 1993年に、録音スタジオが設置された自社ビルを恵比寿に、滞在リゾート型の録音スタジオを札幌芸術の森に隣接する「札幌アートヴィレッジ地区」にそれぞれ竣工。バブル崩壊後共に売却したが建物はスタジオを含め現存。札幌のスタジオはビートルズのプロデューサー「ジョージ・マーティン」が監修した。 1996年3月に、東急グループから離脱。BMGビクターの子会社となり、全作品の販売元を同社に移管して出資母体のビクター エンタテインメント株式会社(現:株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が流通を担当。同時に録音部セクションが独立し「株式会社バーディハウス」として運営開始。恵比寿の旧本社のスタジオおよびBunkamuraの「Bunkamura Studio」(旧TOKYU FUN STUDIO)の運営管理および録音・マスタリング・アーカイブ業務を行っている。札幌市のスタジオは閉鎖状態を経て、2008年に札幌市のイベント会社「WESS」および松山千春の個人事務所「オフィス・ゲンキ」が買取。「芸森スタジオ」としてリニューアル・オープンした。運営は、WESSおよびオフィス・ゲンキの他にクリエイティブオフィスキュー、ランタイムミュージックエンタテインメント、クリプトン・フューチャー・メディア、デジタルガレージ等が出資した会社「株式会社SAVE」が行なっている。
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ファンハウス
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「こちら新宿フリッパーズ」の記事における「ファンハウス」の解説
アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学(MIT)に本拠を置く、合衆国政府お抱えの非合法サイバーテロリスト集団。MITの在籍者および出身者によるコンピュータのプロフェッショナルたちによって構成されている集団で、表向きの顔はMITのコンピュータ研究サークル。政府の要請によって情報操作をメインとするサイバーテロリズム活動に従事しており、そのために時に合衆国大統領をも動かす裏の権力すらも誇示している。また同時に「世界の情報のパワーバランスを保つ」ことを目的としており、フリッパーズ、特に藤沢の持つ情報とその処理能力を「世界に対する脅威となりうる存在」と一方的に認定し、その消滅を目的としてフリッパーズに挑んでくる。なおメンバーはそれぞれ独自のハンドルネームを所持しており、それは主に自らの得意とする分野に由来している(北登の「召喚者(サモナー)」ならば彼が創り上げて放つコンピュータウイルスをファンタジーにおけるモンスターや悪魔になぞらえており、それらを「召喚する者」という意味合い)。 名越 良次(なごし りょうじ)/ ハンドルネーム:エンペラードール 2月24日生まれ・196cm・89kg・A型 日系三世・米国人。 ファンハウスを束ねるボス。全てにおいて超越した能力と頭脳を持つファンハウスの絶対王者。藤沢のダイナミック・リンケージの上位互換ともいえる絶対的な電脳能力「UBER-WINDEN(万難を排せよ)」を持つ。 コーヒーを趣味とし「一生をかかっても追求するに値する哲学」と評する。そのため最初に登場したのはフリッパーズオフィスの近所にある喫茶店のマスターとしてだった。後にその立場は藤沢の動向を探るためのカバー(偽の素性)であった事が明らかになる。
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