ハンセン病
『いのちの初夜』(北條民雄) 昭和初期。23歳の尾田高雄は癩病と診断され、初夏の午後、1人で病院まで行き入院する。その夜、彼は外へ出て縊死しようとするが死にきれず、病室へ戻る。同病者の佐柄木が、重症患者たちの姿を尾田に示して「あの人たちは、もう人間じゃない。生命だけがびくびくと生きているのです。あなたも癩者に成りきって、さらに進む道を発見して下さい」と言う。2人が話し合ううちに、入院第1日の夜は明けて行く。
『蒼白の兵士』(ドイル) 南アフリカの戦地からイギリスへ帰った青年ゴドフリイに、癩病の症状が表れた。癩病者は癩病院に隔離され、一生そこから出られないので、父親のエムズウォース大佐は息子の病気を隠し、広い屋敷の離れにひそかにゴドフリイを住まわせる。世間に対しては、「ゴドフリイは世界一周の旅に出て、当分不在」と説明した。友人ジェイムズがこれを疑い、ホームズに調査を依頼する。ホームズはジェイムズから話を聞き、大佐邸を訪れて、真相をおおよそ察知する→〔病気〕4
『ベン・ハー』(ワイラー) ユダヤの名家の青年ベン・ハーは無実の罪におとされ、母と妹は地下牢に幽閉される。地下牢で4年余り過ごすうちに母と妹は癩病に侵され、癩者の谷へ追いやられる。ベン・ハーは2人を探し、谷から連れ出す。折しも、イエス=キリストが十字架を背負って刑場に向かうところであり、彼らはその姿を見送った。キリストは十字架上で息絶え、雷が轟き嵐が起こる。その時母と妹は、互いの身体から病いが消えたことを知る。
★2.ハンセン病の王。
『癩王のテラス』(三島由紀夫) 12世紀末のカンボジア。若き王ジャヤ・ヴァルマン7世は、宮殿のテラスの南に大寺院を建立することを命ずる。その夜、王の腕に癩の兆候である赤痣があらわれる。寺院が出来上がるにつれ、王の病気は進行する。3年後、寺院が完成した時、すでに王は盲目で、死を目前にしている。寺院の頂に若々しい王の肉体が出現し、瀕死の王に「癩を病むお前は『精神』だ。『肉体』は不死だ」と宣告する。
『砂の器』(松本清張) 昭和6年(1931)生まれの本浦秀夫は、昭和20年の空襲で役所の戸籍原簿が焼失したことを利用し、「和賀英良」と名乗って戸籍を創作した。本浦秀夫の父は癩病であり、才能豊かな秀夫は将来のために、癩病者の戸籍から抜け出る必要があった。やがて和賀英良(=本浦秀夫)は、作曲家として脚光を浴びる。しかし彼の過去を知る元巡査三木謙一が訪ねて来たので、和賀英良は三木謙一を殺した。
『ゲスタ・ロマノルム』132 3人の医者が、腕の良い若い医者をねたんだ。3人は「あいつをやっつけよう」と話し合い、若い医者が通る道に待ち構えて、次々に十字を切る。十字を切ったわけを若い医者が聞くと、3人は「お前はレプラだ」と言う。古代ギリシアの名医ヒポクラテスが、「レプラを恐れる者はレプラになる」と述べたように、若い医者は恐怖のあまり、本当にレプラになってしまった。
*危難を心配するのは危難の前兆→〔運命〕4の『徒然草』第146段。
★5.ハンセン病の起源。
『聴耳草紙』(佐々木喜善)35番「癩病」 飛騨の工匠(たくみ)が1日に七つの観音堂を作った時、ドンコロ(木の切れ端)や切り屑たちに魂を吹き込み、人間の姿にして働かせた。七堂完成後、ドンコロたちの「このまま人間にしておいて下さい」との嘆願を、飛騨の工匠は聞き入れ、次のように言った。「お前たちは、もともと木だから、人間の姿をしていても、いつかは腐る。それはドス(癩病)といって、他人からうつるものではない。自分から出て自分で腐るのだ」。この時から癩病ができ、癩病になる家筋もできた。
*昔、癩病は遺伝病と考えられていた→〔恋わずらい〕3の『対髑髏』(幸田露伴)。
*癩病になった画家→〔画家〕1の『月と六ペンス』(モーム)。
*仏罰を受けて癩病になる→〔神仏援助〕4cの『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「弁才天奇談」。
*血を用いて癩病を治す→〔子殺し〕3の『摂州合邦辻』「合邦内」・〔血〕3の『アーサー王の死』(マロリー)第17巻第10~12章。
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