ドレクスラーの反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 15:05 UTC 版)
「分子ナノテクノロジーに関するドレクスラーとスモーリーの論争」の記事における「ドレクスラーの反論」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} (上)リボソームの模式図。小さなアミノ酸からタンパク質の高分子を正確に構築するリボソームは、ドレクスラーによって生体的な分子マシンの例とされた。アニメーションあり。(下)走査型トンネル顕微鏡の模式図。ドレクスラーは個々の分子の位置制御が可能である実例としてこの装置を挙げた。 ドレクスラーはこれに答えて、同年末に分子マニュファクチャリング研究所から「物理学、礎、ナノロボットについて」と題した反論の書簡を公開した。共著者としてロバート・フレイタス、J・ストーズ・ホール、ラルフ・マークルらが名を連ねた。ドレクスラーらはまず「太い指」の問題について、化学反応には必ず5個から15個の原子が関わるというスモーリーの意見を攻撃し、多くの反応では2個の反応物質しか関与しないので、その一方を固定しておいてもう一方を「指」一本で動かすことが可能だと主張した。その証拠として引用されたのは、走査型トンネル顕微鏡 (STM)の探針や類似の技術を用いて個々の分子の位置制御を行ったり、基板表面に束縛された分子にほかの分子との相互作用を起こさせることが可能だという実験的・理論的研究であった。また、化学反応の過程を通じて完全に正確な位置制御を行わなくとも完全に正確な生成物を得るのに支障はないことが指摘された。「べたつく指」については、反応によってはこの問題を避けられないことを認めつつも、すべての反応がそうだと結論するのは不当だと主張された。 ドレクスラーらは自然界に存在する分子マシンの例としてリボソームを挙げ、スモーリーが挙げた二つの問題はリボソームに影響を与えていないことから原理的な問題ではないと主張した。 生体内に普遍的に存在する分子アセンブラは「太った指」問題とも「べたつく指」問題とも無縁である。仮にスモーリーが訴えるようにこれらが「原理的」な問題だったなら、機械的なアセンブラの存在を禁じつつ生体系アセンブラを禁じないのはなぜだろうか? タンパク質という分子構造のクラスが位置制御によって合成できるなら、合成できるクラスがほかに存在しないとなぜ言えるのだろうか? ドレクスラーらはスモーリーが用いた複製時間の値にも疑義を唱えた。スモーリーは原子の位置制御の速さを1 GHzと見積もったが、ドレクスラーが自著『ナノシステムズ』で提示した値はその1000分の1の1 MHzにすぎない。スモーリーがいうほど振動数が高ければ、ダイヤモンドイド(英語版)製のナノマシンであっても過熱によって数ミリ秒で分解してしまうだろう。ドレクスラーらはスモーリーの主張を藁人形論法と呼び、「真剣な科学的議論において、文献中で提示された数値と批判者が用いた数値との間に3桁のオーダーの差があったとすれば、どれほど好意的に見ても、批判者が文献の内容を十分に理解していないということだ」と述べた。ドレクスラーらは公開状の末尾で、分子アセンブラが実現可能かどうかは実験的・理論的な研究によって検証するべきだとして、「克服すべき分子システム工学上の課題は多いが、これまでのところ、分子アセンブラが実現不能だという主張はいずれも信頼に値しない」と述べた。 ドレクスラーはさらにスモーリー宛ての公開状を2003年4月および7月に書いた。4月の公開状は「この公開状を書いたのは、貴殿が私の研究について誤った情報を広めているのを正すためだ」という文で始まった。ドレクスラーはスモーリーが前提としたマニピュレータ構造を「スモーリーの指」と呼び、それを根拠に分子アセンブラを否定していることを非難した。ドレクスラーによれば、彼が実際に提案したのは酵素に似たシステムであって、「スモーリーの指」を持つ方式ではなかった。 「スモーリーの指」が実現不可能であることなど研究者コミュニティは全く気に掛けていない。「スモーリーの指」は何の役にも立たないし、研究プランに取り入れられたこともない。そのような藁人形論法に頼る貴殿の姿は、賢明な観察者の目には、私の研究に有効な批判を加えることが誰にもできない証拠として映るかもしれない。だとすると、どうやら私は貴殿に礼を言うべきであるようだ。 ドレクスラーはナノテクノロジーの未来に関するこの論争の重要性を、宇宙飛行に関するスプートニク以前の議論や、核化学に関するマンハッタン計画以前の理論的研究と並べてみせた。彼はスモーリーへの反論として、グレイグーへの危惧はナノテク研究への資金的支援を継続する上で障害にしかならず、潜在的な長期リスクが存在することは研究の重要性を一層高めると主張した。ドレクスラーは結論として「貴殿の見当違いの論考は、長期的な安全性の問題について本来行われるべき公の議論の方向性を狂わせた」と述べた。 2003年7月の公開状によれば、スモーリーは4月の公開状を受けて公に回答すると約束したが、それを果たさなかった。ドレクスラーは原子操作による物質合成に関するスモーリーの発言が二転三転してきたことを指摘した。締めくくりには「通常ならば、これほどしつこく問題を追及することはしない。しかし、究極のところナノテクノロジーに何ができるかという問いは、おそらく目下この分野で最も根源的な問題であって、ナノテク研究の方向性と展望を根本的に規定するものである。貴殿の発言は、この問題に対する一般の見方に見過ごせないほどの影響を与えてきたのだ」と述べられた。
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