キリスト教での象徴性とは? わかりやすく解説

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キリスト教での象徴性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:47 UTC 版)

ヒツジ」の記事における「キリスト教での象徴性」の解説

キリスト教、またその母体となったユダヤ教では、ヤハウェ唯一神)やメシア救世主)に導かれる信徒たちが、しばしば羊飼い導かれる羊たちなぞらえられる。旧約聖書では、ヤハウェや王が羊飼いに、ユダヤの民が羊の群れたとえられエレミヤ書エゼキエル書詩篇等)ている。 また、旧約聖書の時代、羊は神への捧げもの(生贄)としてささげられる動物一つである。特に、出エジプト記12章では、「十の災い」の最後災い避けるために、モーセイスラエル人の各家庭小羊用意させ、その血を家の入り口鴨居塗り、その肉を焼いて食べるというたとえ話がある。のちに、出エジプト記念する過越祭として記念されるうになるまた、羊の肉はユダヤ教徒食べることができる肉として規定されている。カシュルート参照のこと。 新約聖書では、「ルカ福音書」(15章)や「マタイ福音書」(18章)に「迷子の羊と羊飼い」のたとえ話節がある愛情慈悲も深い羊飼いは、たとえ100匹の羊の群れから1匹が迷いはぐれたときでも、そのはぐれた1匹を捜しに行くとしている。この箇所隠喩となっており、はぐれた羊は、神から離れた者、神に従わない反抗者罪を犯す者を表し、また羊飼いについては創造主である神を例えている。福音書では、どのようなであっても同じよう愛し、気にかけ、大切に想う神の愛示している。 「ヨハネ福音書」では、イエスが「私は善き羊飼いである」と語るが、イエス自身も「世の罪を取り除く神の小羊」と呼ばれる1章29節)。 この「神の小羊」は、イエスが後に十字架上で刑死することにより、人間の罪を除くための神への犠牲となる意味があり、イエス刑死したのも前述過越祭の期間であったことから、パウロ第一コリント5章7節で、イエスは「過越小羊として屠られた」と表現するミサ・ミサ曲)。 また、ヨハネ黙示録」において、天上光景のなかで啓示されイエスの姿は「屠られたような」「七つの目と七つの角」を持つ小羊の姿である(5章他)。

※この「キリスト教での象徴性」の解説は、「ヒツジ」の解説の一部です。
「キリスト教での象徴性」を含む「ヒツジ」の記事については、「ヒツジ」の概要を参照ください。

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