キハ81形 (1 - 6)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:57 UTC 版)
「国鉄キハ80系気動車」の記事における「キハ81形 (1 - 6)」の解説
先頭車となる片運転台付2等車で定員は40名。エンジンは走行用を床下に1基、枕木方向に対して横置きするサービス電源用発電セット用をボンネット内に1基搭載する。 ボンネットは大半がエンジンフードとされ、メンテナンスの観点から大きく開く構造を採用した。 デザイン意図としては151系電車の流れを汲んだものではあるが、発電セット搭載とタブレット授受の観点から低く抑えた運転台形状により、裾絞りを小さくし幅を広くしたため151系電車のそれからはほど遠い寸詰まりかつ本形式独自なスタイルとなった。 前照灯は屋根上2基搭載のみで、両脇に緊急停車時用赤色交互点滅回路を内蔵した標識灯を、通常の尾灯はボンネット腰下部分に設置する。 保存車両前面(上)側面(中)売店(下) 車内レイアウトは、運転台後部から常に1.800 rpmという高回転で運転される発電セット用エンジンの騒音対策とボンネット内のスペース問題からラジエーターなどを床上搭載する機器室・トイレと洗面所・客室・売店と物置・客乗降用デッキの順で設置する特異なものである。 屋根高は、運転台 - 機器室間が後位側に比較すると一段高くされており、ラジエーター保護と換気目的から機器室部位車体側面に設置するルーバーの位置も高くされた。 非貫通かつ総括制御ならびに冷房電源引通用ジャンパ連結器を前面に搭載しないため編成中間に組込不可で定員が40名と少なく、無線装置の必要な常磐線対応の先頭車のため「はつかり」で限定運用され続け、1968年の「はつかり」電車化後は奥羽本線特急「つばさ」2往復中1往復(下り・上り2号)に充当された。 「つばさ」転用では、板谷峠区間で補機となるEF71形を連結する制約から先頭部連結器カバーを取り外し、連結時の作業性改善を目的にスカートへ切り欠き加工が施工されたが、切除部の形状が多様化した。連結器カバーは、後述する転用後も廃車まで再装着はされていない。なお6は運転席部分窓枠上部に棒状の手摺溶接を同時施工した。 だが、座席数が少ないことによる輸送力不足が露呈したことから、「つばさ」は1年でキハ82形に置き換えられることになり、1969年10月1日ダイヤ改正で秋田機関区(現・秋田総合車両センター南秋田センター)へ転出し、上野 - 秋田間を上越線・羽越本線経由となる「いなほ」と間合いで常磐線特急「ひたち」に転用。 1972年10月2日ダイヤ改正で「いなほ」「ひたち」は485系電車化されたことから、和歌山機関区(現・吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)に再転出。紀勢本線特急「くろしお」のうち名古屋発着となる下り5号・上り2号へ限定運用で充当され、7両基本編成名古屋方ならびに3両付属編成天王寺方先頭車に組成された。 しかし、老朽化に加えて前面非貫通かつ座席数などキハ82形との相違による運用を限定させる制約や編成組成上の難点が表面化し、1976年10月1日ダイヤ改正で向日町運転所からキハ82形4両が転入。キハ81形1・2・4・6の4両が休車となり天理駅へ疎開留置。キハ81形と同時期に製造された僚車のキロ80形3・4などと同時に1977年12月23日付で廃車となった。3・5は引き続き付属編成に組成されていたが、主に多客期増結用となり使用頻度は低下した。1978年10月の紀勢本線新宮電化によって余剰となりさよなら運転の後休車。翌1979年7月に5が、10月に3が廃車され形式消滅した。
※この「キハ81形 (1 - 6)」の解説は、「国鉄キハ80系気動車」の解説の一部です。
「キハ81形 (1 - 6)」を含む「国鉄キハ80系気動車」の記事については、「国鉄キハ80系気動車」の概要を参照ください。
- キハ81形のページへのリンク