アルフレッド・セイヤー・マハン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/17 18:20 UTC 版)
アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan [məˈhæn][1], 1840年9月27日 - 1914年12月1日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人・歴史家・地政学者。最終階級は海軍少将。
- ^ 2020 Issues in National Security Lecture Series: John Maurer on Alfred Thayer Mahan U.S. Naval War College
- ^ 朝日東亜年報. 昭和17年版 (大東亜戦争特輯)国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:26
- ^ イロコイ号が天保山沖に停泊中、徳川慶喜を開陽丸に移るまで一夜泊めている。(中原裕幸「海軍戦略家アルフレッド・マハンと将軍徳川慶喜」『Ocean Newsletter』第336号、笹川平和財団海洋政策研究所、2014年8月5日。)を参照。また、開港直後の兵庫港では神戸事件を経験している。
- 1 アルフレッド・セイヤー・マハンとは
- 2 アルフレッド・セイヤー・マハンの概要
- 3 日本への紹介
アルフレッド・セイヤー・マハン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 15:33 UTC 版)
「戦略地政学」の記事における「アルフレッド・セイヤー・マハン」の解説
アルフレッド・セイヤー・マハンはアメリカの海軍士官であり、アメリカ海軍大学校の学長であった。彼ら 彼は、海軍の優位性が大国同士の戦争における決定的な要因であると説いた著書『海上権力史論』で最もよく知られている。1900年、マハンの著書『アジアの問題』が出版された。この本の中で彼は近代における地政戦略学を初めて展開した。 マハンは『アジアの問題』において、アジアの3つの地帯に区分している: 北部地帯:北緯40度線の以北に位置するで、寒冷な気候が特徴で、ランドパワーが支配している。 「議論の余地のある("Debatable and Debated" )」地帯:北緯40度線と北緯30度線の間に位置し、温帯気候を特徴とする。 南部地帯:北緯30度線以南に位置し、熱帯気候が特徴で、シーパワーが支配する。 マハンは、「議論の余地のある」地帯には、アジアの両端にある2つの半島(アナトリアと朝鮮半島)、スエズ運河・パレスチナ・シリア・メソポタミア、山脈が特徴的な2つの国(イランとアフガニスタン)、パミール山地・ヒマラヤ・揚子江、そして日本が含まれていると考察した。この地帯の中には、外部からの影響に耐えうる、あるいは自国の国境内で安定を維持できるような強大な国家は存在しないと、マハンは主張した。つまり、マハンの見解では、北部と南部の政治情勢は比較的安定しており確立されているのに対し、中央部は 「議論の余地のある」地帯にとどまっているのである。 北緯40度線以北の広大なアジアはロシア帝国が支配していた。ロシアは大陸の中央に位置し、一方をコーカサス山脈とカスピ海、他方をアフガニスタンと中国西部の山々に囲まれた中央アジアへ楔状に突出していた。マハンは、ランドパワーであるロシアの拡張主義とアジア大陸での優位性の獲得を防ぐのには、アジアの側面に圧力をかけることが、シーパワーが唯一実行可能な戦略であると考えていた。 北緯30度線以南は、英国・米国・ドイツ・日本といったシーパワーの支配地域とされた。マハンにとって、イギリスによるインド領有は戦略的に重要な意味を持つものであり、インドは中央アジアでロシアに対してバランスのとれた圧力をかけるのに最適であった。エジプト・中国・マレーシア・オーストラリア・カナダ・南アフリカにおけるイギリスの優位性も重要視されていた。 マハンは、シーパワーはロシアが海上交易から得られる権益の阻止を戦略の旨とすべきだとした。彼はトルコ海峡もデンマーク海峡も敵対国によって閉鎖される可能であることが、ロシアの海上進出を阻止することになると指摘した。さらに、この不利な立場によって、ロシアは富や不凍港を得るための拡張主義的傾向を持つことになるとした。自然、海へのアクセスを求めるロシアの地理的目標は、中国沿岸部・ペルシャ湾・そしてアナトリア半島となる。 このランドパワーとシーパワーの戦いでは、ロシアはフランス(本来はシーパワー国であるが、この場合は必然的にランドパワーとして行動する)と同盟を組み、ドイツ・イギリス・日本・アメリカはシーパワーとしてこれに対抗することになる。さらにマハンは、効率的に組織された陸軍と海軍を持ったトルコ・シリア・メソポタミアからなる近代統一国家を樹立し、これをもってロシアの拡大に対抗させることを構想した。 マハンは地理的特徴によってさらに世界を区分し、スエズ運河とパナマ運河が最も影響力のある2つの分界線になると述べている。先進国や資源は世界地図上の北側に集中しているため(南北問題)、2つの運河の北側の政治や商業は、運河の南側のものよりもはるかに重要である。このように、歴史的な発展の大きな進展は、北から南へではなく、東から西へと流れていくことになり、この場合はアジアを前進拠点とすることになる。
※この「アルフレッド・セイヤー・マハン」の解説は、「戦略地政学」の解説の一部です。
「アルフレッド・セイヤー・マハン」を含む「戦略地政学」の記事については、「戦略地政学」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
幕末の外国人 | ローレンス・オリファント フェリーチェ・ベアト アルフレッド・セイヤー・マハン エドワード・チャールズ・キルビー マシュー・ペリー |
アメリカ合衆国の歴史学者 | マイケル・ホーガン オットー・メンヒェン=ヘルフェン アルフレッド・セイヤー・マハン イグナス・ゲルブ リチャード・パイプス |
- アルフレッド・セイヤー・マハンのページへのリンク