えぼしがたはちまんじんじゃとは? わかりやすく解説

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烏帽子形八幡神社

烏帽子形八幡神社
えぼしがたはちまん



鎮座地 大阪府河内長野市喜多町305

ご祭神 素盞鳴命足仲彦命
    神宮皇后応神天皇
 烏帽子形八幡神社は、河内長野市喜多町西方にある網干城跡東山腹に社殿があり、創建年月は詳からではないが、昔烏帽子形山には所謂河内七城の一なる烏帽子形城と言う支城があって、二郎拠っており、その頃北の城の鎮護として創建祭祀したもの伝えられている。
 神社は、その後久しく荒廃していたが、文明十二年(西暦一四八〇年室町幕府足利義肖の時代河内源氏末裔と言われる石川八郎左右衛門尉が、新たに入母屋造り社殿建立した現在の社殿はこの時の姿に復元されている)。
 後、室町時代一度修理されたのみで、荒廃していたものを、楠氏後裔と言われる甲斐喜右衛門正保が、元和三年西暦一六一七年徳川家忠の時代大阪天王寺普請奉行勤めた時、その竣工後、自分居城鎮守甚だ荒廃しているのを嘆き其の余材を以て引き続き修繕造営し元和八年西暦一六二二年)八月上棟した。尚、この神社境内には、正保寺、特寿院と称する天台宗宮寺があり元は高福寺呼ばれ本尊釈迦聖観音祀っていた。
末社 烏帽子恵比須神社
島根県美保神社御分霊
この寺は、楠正成信仰篤く大般若経転讀行い後村上天皇賊難吉野にさけ給う時、特にここの梵鐘持ち運ばれと言われる。この梵鐘は「河内国高福寺康永元年西暦一三四二年)癸午八月楠氏奉献」の由来刻まれており、今も奈良県賀名生堀家所蔵されている。
末社 比良野社(平野社
 寛永年中西暦一六二四年~一六四二年)より、徳川将軍の命により、徳寿院観心寺榎本院、経蔵院、五智院理趣院、心王院、威徳院真福院衆中より、僧衆五人六人当社において、天下泰平祈願の為、正月五月九月永代般若経転讀行ったが、この経巻楠氏一族寄付により、今は観心寺所蔵されている。
末社 稲荷社
伏見大社御分霊
 本殿は所輪二十年重要文化財に指定され昭和四十七月より解体修理し四十一年九月竣工文明十二当時の姿に復元された。建築様式は、桁行三間梁間二間入母屋造檜皮葺身舎円柱、正側三方に縁をめぐらし中央に五段の木階をつける。宝珠高欄供え側面後端脇障子をおき、向拜三間の総向拜向拜浜床設ける。内部は、内陣外陣とに分かれる
 本殿建立年代は、棟札、及び、保存修理工事中、棟東の墨書発見によって文明十二年(一四八〇年)であることが判明した
 甲斐喜右衛門正保の子、正述は当時長崎奉行の職にあり万治二年(西暦一六五九年四代将軍家綱の時代)より三年にわたり八幡神社境内位牌堂経堂上下鳥居建立したが、位牌堂現存しない。 
明治初年神仏分離により宮寺廃絶し神社のみ明治五年村社列し明治四十十月十九日大字小塩宮山村社八幡神社合祀し明治四十一年十二月神饌幣帛料供進社指定受けた

例祭日 十月十日



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