九鬼岩倉神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > 寺社仏閣 > 日本の神社 > 九鬼岩倉神社の意味・解説 

九鬼岩倉神社

九鬼岩倉神社
くきいわくら

鎮座地 三重県鳥羽市岩倉町1107-1

御祭神 九鬼弥五郎澄隆 くきやごろうすみたか
    伊邪奈美
    誉田別命
    素盞鳴命
 三重県鳥羽市加茂川河内川鈴串川三つの川合流する辺り田城々址に鎮座する。もと九鬼神社称したが、明治41年11月28日許可を受け、大字岩倉村八幡神社無格社加茂神社・同萩原神社同年12月15日合祀し加茂八幡九鬼神社(現 加茂神社)と単称したが、更に同43年1月22日大字松尾岡神社合祀され、そのとき無格社九鬼神社祭神であった九鬼弥五郎澄隆の霊代は、子爵九鬼隆輝に於て奉祀することとなった
 昭和30年4月26日至り、字城山前記三社加茂神社より分祀し、九鬼岩倉神社と称する。 
【九鬼岩倉神社が鎮座する田城々址について】
 道路面した神社入り口右手下記のような看板設置してある。

 田城々跡 <三重県指定文化財> 史跡
      (指定) 昭和45年10月8日
 織田信長水軍大将として勇名を覇せた九鬼嘉隆祖父泰隆が天文十年(1541)にこの城に拠り伊勢国北畠氏のために尽くし二見七郷与えられと言う。その以前田城左馬之助が築いたとも伝えられる天正十年(1582)に至り九鬼嘉隆が兄浄隆の子澄隆を暗殺しその後、この城は廃せられたと云われる。城跡には、澄隆の怨霊鎮めるために九鬼惣領権現祀られている。
鳥羽市教育委員会 
 境内にある九鬼神社刻され石碑
 里人伝説に、嘉隆嫡子守隆が重症のときのうわ言に、大山祇神託宣であるとして、「汝の父嘉隆は澄隆を殺し、汝また父と対陣し自殺させた罪軽からず、その罪のつぐないのため速やかに神社建てるべし」といい終わって夢からさめ、やがて病気快癒したという。そこで寛永三年に、田城址に惣領権現創始し澄隆の霊を供養している。明治維新に至るまで、九鬼家加茂村岩倉惣領権現には代参遣わして丁重に祭祀続けられている。
 志陽略誌に「正一位総領権現社岩倉在り九鬼弥五郎霊を祭る。弥五郎叔父嘉隆のために横死する所、故に其霊祟をなす、是に於て田城の砦跡に一社創建して其霊を鎮め祭る。然るに嘉隆の子孫は或は奇疾或は夭死す、是れ弥五郎の霊の祟を為す所也、故に九鬼家より卜部家属して内奏経て宝永年中神階正一位勲一等に進むと云々毎歳九鬼家より其家士遣して拝礼を行う也」とある。
 岩倉極楽寺過去帳位牌隠田ヶ岡の五輪塔いずれも澄隆の死を天正十年一五八七)十一月二十三日としている。
 『志陽略誌』に「大明神社 岩倉村在り、此外牛頭天王社山祗神社珍忠社あり」とみえ、また「正八幡宮を移すと謂う」とあり、明治五年の「岩倉村地誌」に「加茂明神社 本村元標より南の方字地に在り祭神伊邪那美命なり、抑も本社の来由尋ぬるに船津河内岩倉松尾白木加茂五郎称せるとき、山城国加茂明神勧請せしものなるか、木村建置の時一社建てて奉祀せしものと憶えたり」とある。
 九鬼神社についていえば、もとの鎮座地から松尾町岡神社合祀され、岡神社加茂神社へと名称の変更があり、加茂八幡九鬼神社称したその後、旧鎮座地分祀され、八幡神社(祭神誉田別命)・萩原神社(祭神素盞鳴命)と三社合祀され、九鬼岩倉神社と称した。因に八幡神社城州男山八幡宮より勧請の後、中世九鬼嘉隆崇敬し鎮護神としていた。

 「これは、和歌山県本宮町熊野本宮大社先代宮司さんの書によるもの」と教えて下さった

 祭典の「鍬形神事」についてはコチラ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「九鬼岩倉神社」の関連用語

九鬼岩倉神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



九鬼岩倉神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
神社ふり~く神社ふり~く
Copyright © 2024 ななかまど All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS