「お義理で拍手するのはやめてほしい」事件
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「岩城宏之」の記事における「「お義理で拍手するのはやめてほしい」事件」の解説
N響正指揮者の称号を贈られた1969年10月、岩城はN響史上画期的で大胆な試みを持った定期公演を2度にわたり指揮をした。プログラムは以下の通りであった。2つのプログラムは当時の先端をゆく日本の作曲家の現代作品だけで構成され、岩城はこの手の演奏会に対して「一度やってみたかった」と「強行することに対する不安」の2つの相反する気持ちを持ち合わせつつ指揮台に上がった。 第530回定期公演(1969年10月23・24日/東京文化会館) 黛敏郎:『BUGAKU(舞楽)』 入野義朗:『小管弦楽のためのシンフォニエッタ』(1953) 平吉毅州:『交響変奏曲』 武満徹:『ノヴェンバー・ステップス』(琵琶:鶴田錦史、尺八:横山勝也) 第531回定期公演(1969年10月29・30日/東京文化会館) 柴田南雄:『シンフォニア』 三善晃:『管弦楽のための変奏曲』 武満徹:『テクスチュアズ』 諸井誠:ピアノ協奏曲(ピアノ:木村かをり) 間宮芳生:『オーケストラのための2つのタブロー'65』 事件は10月29日の第531回定期公演で起こった。三善の『管弦楽のための変奏曲』が終わった直後、岩城は指揮台を降りて観客に対して次のように言った。「お義理で拍手するのはやめてほしい。つまらないと思ったらヤジってけっこうです。よいと思ったら盛大に拍手してほしい」。続く武満の『テクスチュアズ』の演奏が終わったあと、岩城は再び観客に対して「ああいうことをいったからといって、そう拍手してくれなくても……」と二度にわたり語った。 岩城によれば、第530回定期公演は「反響も大きく、僕自身も実に感動した」内容であった。その流れで第531回の指揮台に上がったところ、第1曲の柴田『シンフォニア』の演奏に対する拍手が「儀礼的で、冷たい」と岩城は感じた。2曲目の三善『管弦楽のための変奏曲』は「演奏困難なくらいむずかしい」作品であったが、この時は「うまくいった」。岩城はコンサートマスターの田中千香士に「うまくいったね」という意味合いで笑顔を返したところ、観客が「曲が終わっていない」と勘違いしたのか拍手を止めてしまった。このハプニングに岩城は「演奏家のわがままをいわせてもらえば哀しかったんです」。岩城が「お義理で拍手するのは……」と言ったのにはそのような背景があり、次の『テクスチュアズ』終了後の拍手に対して思わず「ああいうことを……」と言ったのであるが、岩城自身はこれについては「まったく余計だったと思います」と反省し、さらに演奏会終了後には一連の「演説」について「ああしたことはいうべきでなかったか、と苦しんだ」という。観客の反応としては1つ例を挙げるなら、女性会員の一人が「ああいう曲になれていないから、曲がどこで終わるものかわからない、あの場合は、多くの人が拍手するタイミングを逸してしまったのではないか」、「邦人作品は必ずしも慰めやら憩にはならないのではないか、プログラムのうちに1曲ぐらいだったら我慢もできるが、全曲ではとてもかならわない」といった趣旨の感想を述べた。ほかにも「岩城は不遜だったのではないか」という趣旨の厳しい意見や、逆に岩城の発言や意思を理解して擁護する意見も寄せられた。岩城の「演説」に関する論争はN響会員の間のみならず、やがて週刊誌も取り上げるほどの話題となった。 岩城はかねがね、N響が「ドイツの二流のオーケストラのコピー」的な存在に甘んじることに対して批判的であり、第530回、第531回の両定期公演は岩城の「新しい方針もくわえた」夢のプログラムでもあった。また、岩城は「N響はもちろん日本のオーケストラですから - 日本の曲をやらなければならない。ベートーベンだけ、あるいは、ヨーロッパの作品だけを演奏するわけにはいかない」、「個性、国民性のつよく持った作品が、逆に普遍性を持つ」という信念から「N響があわてふためいて日本の現代音楽をやり出すんでは手遅れ」と感じており、「そんな4~5年先を読んだ上で、こうしたプロを強行したんです」と説明している。さらに岩城自身、「現役の活動期にある作曲家の作品だけを集めて、2回・4夜の演奏会をりっぱなプログラムに組める国、すなわちそれだけの秀れたレヴェルの作曲家を持っている国というのは、はっきりいって世界に日本だけしかないと思うんです」と自負しており、一連の演奏会に関しては「僕はたいへんな自信と誇りを持っているんです」とも述べた。そのうえで「お義理で拍手するのは……」発言については、「日本の現代音楽に対する反応についてだけを、いったつもりではなくて、日本の音楽界全般の聴衆の反応についていったつもりなんです」と説明した。岩城はこの後もブラームス作品に武満、石井眞木、廣瀬量平の作品を組み合わせるプログラムを組むなど、N響で日本の現代作品の紹介に務めた。 岩城の一件から14年後の1982年3月、N響は尾高賞30周年を記念して、1912年から1980年に作曲された日本人の手による管弦楽作品約1600曲から専門家が15曲を厳選し、外山雄三が指揮する3つの定期公演(第865回、第866回、第867回)を開いた。ところが、N響が定期公演においてこのような日本人作曲家作品のみのプログラムが組まれるのはこれが最後となり、尾高賞受賞作品の披露も特別演奏会を経て「Music Tomorrow」に移されるなど、「日本人作品を盛り立てる」という意味では岩城の願いとは違う流れとなっている。
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