黛敏郎とは? わかりやすく解説

まゆずみ‐としろう〔‐としラウ〕【黛敏郎】

読み方:まゆずみとしろう

[1929〜1997作曲家神奈川生まれ東京音楽学校卒。橋本国彦伊福部昭らに師事昭和28年(1953)、芥川也寸志団伊玖磨と「三人の会」を結成ミュージックコンクレート作品X・Y・Z」、声明取り入れた涅槃(ねはん)交響曲」などのほか映画音楽多く手がけた。


黛敏郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 20:37 UTC 版)

黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年昭和4年〉2月20日 - 1997年平成9年〉4月10日)は、日本作曲家。戦後のクラシック音楽現代音楽界を代表する音楽家の一人。東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。


注釈

  1. ^ この曲は元々は読売日本交響楽団の演奏のために書かれている。『全日本プロレス中継』のオープニングでも使われ、またプロレスラー・ジャイアント馬場がリング入場の際に使用していたことから「ジャイアント馬場のテーマ」とも呼ばれる。プロボクサーで世界フライ級王者だった大場政夫も入場に用いた。
  2. ^ 1960年代以前の映画音楽などでは左翼色の濃い作品にも多く関わっている。
  3. ^ 1970年11月25日の三島由紀夫自決に際しても、黛は友人としての追悼文で、思想信条に同意すると述べた(「諸君!」1971年2月号101頁。同号の特集が「三島由紀夫の死を見つめて」)。なお、出会いは1952年のパリ留学時で、以後毎年11月25日に、九段会館などで催す「憂国忌」の発起人でもあった。
  4. ^ 鈴木行一が作曲を手掛けた混声合唱組曲「虹の輪」の音楽之友社刊行スコアの作曲者プロフィールに記述あり。
  5. ^ 明仁皇太子成婚を祝し、三島由紀夫の詩に作曲された。
  6. ^ 伊丹十三監督映画「大病人」(1993年)のクライマックス・シーンで黛本人が指揮するオーケストラにより演奏された。
  7. ^ NNN各報道番組のシグナルチューン。全曲の演奏は「題名のない音楽会」で1977年に1回されたのみ。ニュースでは中間部や後半部を除いた編曲版が使用された。「NNN朝のニュース」、「NNN昼のニュース」、「NNN日曜夕刊」、「NNNきょうの出来事」などに使われたほか、「NNNニューススポット」ではテープ編集された短縮版が長らく使用された。
  8. ^ (※1988年に放送された『'88 火の祭典 阿含の星まつり』内に「'88 阿含の星まつり・前夜祭」のVTRがあり、黛は同会で挨拶を務めている)
  9. ^ 日本交通公社の「100%新幹線ガイド」によると、新幹線に鉄道唱歌は似合わないということで作られたが、乗客から「半音が多くて暗い」など不評であったため、山陽新幹線開業までのわずか4年しか使われなかった。
  10. ^ 1980年代まで、新宿・小田急百貨店の営業時間中の毎正時に、時報として屋外スピーカーより流された。

出典

  1. ^ THE 39TH ACADEMY AWARDS: 1967(1967年4月10日開催 / 第39回アカデミー賞 / 1966年度)”. oscars.org. AMPAS. 2021年6月24日閲覧。
  2. ^ Golden Globes, USA - 1967 Awards(1967年2月15日開催 / 第24回ゴールデングローブ賞 / 1966年度)”. IMDb. 2021年6月24日閲覧。
  3. ^ 第5回ギャラクシー賞”. 放送批評懇談会. 2014年11月13日閲覧。
  4. ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
  5. ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
  6. ^ 川口義晴 石川セリ『MI・YO・TA』(DENON)1996年12月 ライナーノーツより
  7. ^ 季刊 ExMusica エクスムジカ 2002年4月 第6号 特集:黛敏郎に詳しい。この収録映像は黛の体調不良を生々しく捉えたものであったため、放映されなかった。
  8. ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
  9. ^ 『地方選挙の記録 昭和50年4月執行』東京都選挙管理委員会、1976年3月25日、196頁。 
  10. ^ 塚田穂高「日本会議と宗教―宗教と現代がわかる本 2016」、平凡社、2016年。
  11. ^ メフィストの誘い”. allcinema. 株式会社スティングレイ. 2022年10月4日閲覧。
  12. ^ メフィストの誘い”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2022年10月4日閲覧。
  13. ^ 「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」でおなじみ「ネスカフェ ゴールドブレンド」CMに出演した、違いが分かる男達。”. Middle Edge(ミドルエッジ). ディー・オー・エム (2016年5月30日). 2023年6月11日閲覧。
  1. ^ 校訓・校章・制服・校歌”. 学校概要. 北海道苫小牧南高等学校. 2017年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月25日閲覧。
  2. ^ 学校概要”. 東大阪市立玉美小学校. 2023年3月25日閲覧。
  3. ^ 新島学園中学校・高等学校 校歌・学生歌”. 新島学園中学校・高等学校. 2021年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。
  4. ^ 村上東中学校校歌”. 八千代市立村上東中学校. 2022年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。
  5. ^ 東金市民歌(行進曲) - 昭和59年10月27日制定”. 東金市. 2023年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。
  6. ^ 鈴木恵子: “香和会報 第5号” (PDF). 東京聖徳学園. p. 11. 2023年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。
  7. ^ 校歌・校章”. 横浜市立東中田中学校. 2022年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。
  8. ^ 横浜清風高等学校校歌”. 学校法人横浜清風学園 横浜清風高等学校 同窓会 - 芙蓉会. 2022年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。 “曲は作曲・指揮者として活躍され、戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人としても知られる黛敏郎先生です。(原文ママ)”
  9. ^ 相良小学校 校歌”. 牧之原市立相良小学校. 2022年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。 “校歌は、昭和52年、詩人・谷川俊太郎氏、作曲家・黛敏郎氏により作成されました。(※原文ママ。「相良小学校 学校概要」より引用)”
  10. ^ 学校の沿革”. 名古屋市立上社中学校. 2023年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。 “昭和60年10月1日 校歌制定:作詞 平野吉昭,作曲 黛敏郎(原文ママ)”
  11. ^ 学園歌・校歌 - 福井中学校 校歌”. 福井工業大学附属福井中学校. 2023年2月19日閲覧。
  12. ^ 校歌”. 伊吹高校の特色. 滋賀県立伊吹高等学校. 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。 “国語の教員で初代校長の津布良幹夫氏が作詞し、黛敏郎氏が作曲されたものです。(原文ママ)”
  13. ^ 1972年(昭和47年) 「ロードショー」創刊。”. 集英社小史. 集英社. 2023年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。 “井上靖作詞、黛敏郎作曲により「集英社・社歌」ができる(原文ママ)。なお、記事の閲覧は『1972年(昭和47年)「ロードショー」創刊。』のクリックを要する。”
  14. ^ 新川橋病院の歌 - 医事課にお邪魔 第108回:「こんなもの発見」より” (PDF). 月刊保険診療2014年8月号(書籍). 総合新川橋病院(PDF公開) / 医学通信社(書籍発刊). p. 81 (2014年9月1日). 2023年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。 “創立40周年の節目に歌詞を募集して病院歌「新川橋病院の歌」を作った。前理事長と同級生であった縁で、有名な作曲家黛敏郎氏が作曲を手がけている。(原文ママ)”


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黛敏郎

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三島由紀夫」の記事における「黛敏郎」の解説

作曲家三島が初の世界旅行中のパリで、現地詐欺師トラベラーズチェック盗まれたことをきっかけ留学中の黛と知り合い交友始まった。黛は、ラジオドラマボクシング』や、オペラ金閣寺』や映画化され三島作品戯曲音楽多く担当し三島自決翌年には、フランス人有志らと「パリ憂国忌」を開催した

※この「黛敏郎」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「黛敏郎」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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