OH-6 (航空機)
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概要
1960年にアメリカ陸軍では、L-19 バードドッグやベル47などの観測機の後継機となる軽観測ヘリコプター(LOH)計画の提案要求を各航空機メーカーに提示した。LOHの要求性能は、アリソン製T63-A-5ターボシャフトエンジンの搭載、ペイロード180kg以上、最大速度103kt以上、航続時間3時間以上、4人乗りとされ、機体のサイズもローター直径10.72m、全長10.6m、全高2.87m以内に収め、C-130 ハーキュリーズ輸送機に4機が搭載できることなどであった。
LOH計画は、10年間で約3,600機が調達される予定であったため、アメリカ国内の航空機メーカー12社が応募し、設計案は22案に上った。このうち、ベル社、ヒラー社、ヒューズ社が最終選考まで進み、1961年5月19日に3社の試作機製造が承認された。試作機は各社5機ずつ製作され、ベルYOH-4A(後のモデル 206)、ヒラーYOH-5A(後のFH-1100)、ヒューズYOH-6Aの名称が与えられて比較評価試験へと移行した。試験は1年間にわたって行われ、1965年5月26日にYOH-6Aが飛行性能の良さと機体価格の安さから採用が決定され、OH-6 カイユースの名称で1,200機が発注された。生産は1965年から開始され、最初の月の生産数は70機に達した。
OH-6は、1966年9月からアメリカ陸軍への引き渡しが開始され、1967年12月にはベトナム戦争に投入されている。OH-6は高い機動性を活かして観測や索敵に活躍し、AH-1G コブラ攻撃ヘリコプター2機とOH-6A 2機が1チームとなったサーチ・アンド・デストロイは高い成果を上げた。しかし、OH-6の生産スケジュールは当初予定より遅れ、追加発注分の機体価格が高騰したため、1,434機で調達は終了となり、1970年8月に量産最終号機が納入された。なお、OH-6の調達中止に伴い、1967年秋に第2次LOH選定が行われ、ベル社のOH-58 カイオワが採用されている。
ヒューズ社は後にマクドネル・ダグラス社の傘下となり、現在はMDヘリコプターズがOH-6を元にした民生機MD 500シリーズの製造販売を続けている。MD 500は軍用機としても広く使われており、海上自衛隊ではMD 500EをOH-6DAとして導入した他、アメリカ陸軍でもMD 530Fを元にした攻撃ヘリコプターをAH-6として採用している。なお、OH-58Dの後継機トライアル・武装空中偵察機計画では、本機の改良型であるMD 540F(MDヘリコプターズ)とAH-6S(ボーイング)が提案されるという、先祖返りのような出来事もあったがトライアルそのものが中止となったため実現しなかった。
- ^ a b “平成31年2月「OH-6J 新型式ローター・システム実験機」”. www.city.kakamigahara.lg.jp. 各務原市. 2020年6月11日閲覧。
- ^ “陸自練習ヘリにエンストロム480Bが選ばれました”. エアロファシリティー株式会社. 2015年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月18日閲覧。
- ^ 令和2年度防衛白書 p.494 資料5 主要航空機の保有数・性能諸元
- ^ “World News - Defence”. Flight International (Reed Business Information Ltd): 400. (1973-09-06) .
- ^ 「砕氷艦「しらせ」OH-6Dヘリコプターを導入!」 『世界の艦船』第472集(1993年11月号) 海人社 P.53
- ^ さらば「OH6D」、最終号機除籍
- ^ 「海上自衛隊ニュース OH-6DAの最終号機を除籍」 『世界の艦船』第840集(2016年7月特大号) 海人社
- ^ a b 「海上保安庁航空機の全容」『世界の艦船』通巻450集(1992年5月特大号) 海人社 P.147
- ^ 「海上保安庁ニュース 小型ヘリコプター2機が解役」『世界の艦船』通巻470集(1993年9月号) 海人社 P.162
- ^ a b c 超最新ゴジラ大図鑑 1992, p. 177, 「航空兵器」
- ^ 東亜国内航空や新日本航空とは別の企業である。
- ^ 航空事故調査委員会 (1980年6月25日). “新日本国内航空株式会社所属ヒューズ式369HM型JA9032に関する航空事故報告書”. 国土交通省 2021年9月7日閲覧。
- ^ 原作の小説版では北朝鮮。
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