J・K・ローリング
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ペンネーム
現在のペンネーム「 J・K・ローリング」は、本のターゲットとなる男の子が女性作家の作品だと知りたくないだろうと心配した出版社が、イニシャルを用いるように求めたためにつけられたものである。ローリングはミドルネームを持っていなかったので、祖母のキャスリーン(Kathleen)にちなみ、ペンネームをJ・K・ローリングとした[6]。ハリー・ポッターシリーズが終わっても作家業を続け、作家名も変えないと発言していたが、2013年になり、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性名で探偵小説を出版していたことがわかった。
なお、本人がジョアン(英: Joanne)でなく、その略称であるジョー(英: Jo)と称するのを好むのは、子供の時、ジョアンと呼ばれるのは怒られる時だけだったためで[7]、ペンネームではない。
経歴
作家になるまで
イギリス南西部ブリストルの北東約15キロ、グロスタシャー州にあるイェイトに住むロールスロイスの航空機のエンジニアであるピーター・ジェームズ・ローリングとアン・ローリング夫妻の長女として生まれた[8]。生まれた病院は、隣町のチッピング・ソドベリーにある。2年後に妹が生まれ、本人が4歳の時に家族はグロスタシャーのウィンターボーンに移り、さらに9歳の時にタッツヒルへと引っ越し、「チャーチ・コテージ」と呼ばれる19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で、美しい庭に囲まれて成長した[9]。近くには、自然豊かなディーンの森があった[注釈 1]。この様々な民間伝承をもつ神秘的な森は彼女の想像力をかき立てた[8]。
子供時代から物語を書くことが好きで、初めて書いたのは『Rabbit』という名前のウサギの話で、6歳の時である[2]。ワイディーン・コンプリヘンシヴ・スクール(総合制中等学校)時代にはすでに想像力に富んだ作品で国語の教師たちに強い印象を与えていた。サバイバルを主題にしたエッセイ『私の無人島生活(My Desert Island)』はA+をとった。しかしこの頃はガリ勉といじめられたり因縁をつけられ喧嘩をふっかけられたりと不愉快な思いも経験していた。また15歳のころ母アンが多発性硬化症と診断が下される。陽気で活力にあふれた母が徐々に病魔に侵されていくのを見ているのは胸が引き裂かれるほど辛いことだったとローリングは語っている。ローリングは最終学年でヘッドガールに選ばれるなど明るく社交的な人気者になっていた[8]。
本人は文学方面に進みたかったが、両親の希望の母国語(英語)の教員となるためにエクセター大学でフランス語と古典英語(古英語、中英語、初期近代英語)を学んだ。1年間の留学期間が必須科目だったのでパリに留学し、パートタイムで英語講師として英語を教えた。在学中も多くの小説を書いたが完成までは進まず、むしろ読む方に時間を費やし、ジェーン・オースティンなどの作品を読んだ。最終学年を迎えた1987年、自ら志願して年に1回マーティン・ソレルの指導で上演されるフランス語の劇に協力した。フランスの劇作家オバルディアの『農場の宇宙飛行士』という哲学的なファンタジー喜劇で衣装係に任命された。
1987年夏卒業。この頃母アンの病状はかなり悪化しており車いすや歩行器が必要となっていた。卒業後はロンドン南西部のクラパムにあるフラットに引っ越した。ロンドンのアムネスティ・インターナショナルで秘書として働いたが、仕事にはあまり興味を見出せなかった[10]。この時は大人向けの小説を書き始めていた。一度だけ出版社で働いたこともあり、原稿の断り状を送る作業をしていた。この頃、タイプをかなりのスピードで打つことが出来るようになっていた。ローリングは25歳を迎えるまでに2つの小説を書いたが日の目を見なかった。その頃からカフェやバーでメモや短い文書を書きなぐる習慣ができた[8]。
ハリー・ポッター着想と困窮
1990年6月、エクセター大学時代の恋人がマンチェスターに移り住んでいたのでそこに一緒に暮らそうと考えていた。週末を使ってマンチェスターでフラット探しをしたが見つからず、延々と続く英国の田園風景を眺めながら4時間かけてロンドンへ戻る列車に座っていた。自分と同じように寂しげな黒と白のフリーシアン種の牛たちをじっと見つめているうちに、突然アイディアが浮かんできた。何がきっかけだったのかはわからないが、目の前に「ハリーや魔法学校のイメージ」がはっきり浮かんできた。この男の子は自分が何者なのか知らず、魔法学校への入学許可証をもらうまで自分が魔法使いだと知らないという設定がパッとひらめいた。一つのアイディアに夢中になったのは初めてだった[11]。 ペンも紙もなかったため、これらを頭の中ですべて思い浮かべていった。主人公のこと、通う学校、そこで出会う人々――。ロンドンに着く頃にはロン・ウィーズリーとハグリットを思いついていた。この段階では名前はついておらず、後から情報を集めて思いついて行った。もっとも時間をかけて考えたのが学校そのものと、その雰囲気だ。場所はスコットランドを舞台に選んだ。ローリングは自分の部屋へ戻ってから、列車で考えていたことを思い出しては、安物の薄っぺらいノートに一心不乱に書き留めていった。これがハリー・ポッターの最初の草案となった[8]。
仕事はマンチェスター商工会議所で派遣秘書の職が見つかり、その年が終わる頃にはロンドンから引っ越してくることができた。ハリーとの出会いは退屈な暮らしに喜ばしい変化が訪れ、ローリングが彼の冒険物語について書いたメモはすぐに靴箱いっぱいになった。この頃から7巻のシリーズにすることを決めていた。
1990年12月30日に母アンが45歳で亡くなる。10年に及ぶ闘病生活だった。その死はローリングの心に深刻な影響をもたらし、執筆中だった本の方向性にも及んだ。打ちひしがれてマンチェスターに戻ってもそこには行き場のない人生が待っているだけであった。しかも恋人との間にも険悪な空気が漂い始め、派手な喧嘩をしたあと、部屋を飛び出して郊外のディズバリーの小さなホテルに1人で泊まった。そこで思いついたのがクィディッチだった[8]。
翌1991年に、ポルトガルの英語教師としての職を得た。日中はコーヒーバーに居座って原稿を書いていた。ポルト在住中5ヶ月目バーで出会った男性と同棲する。その後すぐに妊娠するが流産となる。1992年に27歳で結婚。しかしその前にはすでに二人の関係には亀裂が入っていた。それから数週間後再び妊娠する。妊娠期間中はそれまでになくハリー・ポッター執筆に時間を費やすようになった。
1993年7月、長女ジェシカを出産したが、その4ヶ月後に離婚した。この時父ピーターは再婚していたため、妹のダイが住むエディンバラに娘とともに移り住んだ。ダイはこの時完成していた第3章までの原稿を読み夢中になった。
1993年12月社会保障局で生活保護と住宅手当を申請し、69ポンドの手当を得た。友人に600ポンドの借金もした。幅木のネズミの音に耐えられず新しいアパートを見つけようとしたが住宅手当を理由に次々と断られた。最終的にサウス・ローン・プレイス七番地に引っ越した。この家のキッチンテーブルで『賢者の石』を書き上げることになる[8]。
1994年頃から貧困と心労のため深いうつ病になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部エディンバラ大学の学生誌に明かした。この時の経験が、ハリー・ポッターシリーズに登場するディメンターのもととなった。ローリングは義理の弟が買い取ったサウス・ブリッジとロイヤル・マイルの交差点にあるカフェ、ニコルソンズでコーヒーをすすりながら原稿を書き進めていった。
1994年の暮れには秘書の仕事を見つけたが、15ポンド以上収入があると手当から控除されてしまうためそれ以上稼げなかった。この頃スコットランドで教職を得るため、現代語の公立学校教員免許状(PGCE)取得のためのコースを受けた。1995年の夏にはスコットランド教育産業局から補助金を受け取ることができた[2]。
ハリー・ポッターの大ヒット
1995年、完成した原稿を著作権エージェンシーに送った。1件目はそっけない断りの手紙とともに送り返されてきた。2件目のクリストファー・リトルが経営するChristopher Little Literary Agencyで契約を結んだ。原稿は12の出版社に提出されたが、あまりに長編で、出版する会社は現れなかった。新人による子供向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社が出版することとなったのは、受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子供アリス・ニュートンに手渡して反応を見たからである。1時間後に部屋から出てきたアリスは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話した[12]。契約金は1500ポンドだった。
契約後もマリー・ハウスでの厳しい教育実習を続け1996年7月に教職課程を終了した。ローリングはスコットランドのゼネラル・ティーチング・カウンシルに登録した。またハリー・ポッターシリーズ2巻の執筆にも取り掛かっていた。カウンシルの作家のための奨励金制度で8000ポンドを得ることができた。
1997年7月26日、『ハリー・ポッターと賢者の石』がハードカバーとペーパーバックの両方で出版された。ハードカバー版の刷り数は500部だった。1巻が発売されても派手な宣伝を行う予算はなく、米国の出版権に入札できないほどだった[8]。
発売されてから3日後、米国の出版権をめぐるオークションではどんどん値がつり上がっていき10万ドルで落札された。米国版の初刷りは5万部だった。『賢者の石』出版から2週間後、2作目の原稿を出版社に送った。『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の出版から6日後、児童書として初となる英国のベストセラーリストの1位を飾った。「ネスレ・スマーティーズ賞」を受賞。「ブリティッシュ・ブック・アウォーズ」など多くの文学賞を受賞するなど、新人作家としては異例の扱いを受け児童文学として高く評価されるとともに、多数の外国語に訳される世界的ベストセラーとなり、子供のみならず広範な大人の読者をも獲得した。
1999年6月末、ローリングが4度目に受け取った印税は7桁の金額になっていて、ローリングは正真正銘の億万長者になった。プラチナカード会員のクレジットカードを持ち、15%~20%の印税を受け取るようになっていた。
1999年が終わりを迎える頃、デヴィッド・ハイマンとワーナー・ブラザースとの映画化権の契約が完了した。契約金は100万ドルで、ローリングは起こったことに対する発言権を維持し、脚本に意見をいう権利を持ち、特に英国における特定の種類の商品化に対して拒否権を行使できるようにした。代わりにワーナーは世界中で商標としての「ハリー・ポッター」を管理する権利を得た。
第4巻の発売が決まった頃には、既刊の3巻の売上は英国で800万部、米国で2400万部に達した。4巻の英国での初版部数は100万部を越え、英国・カナダ・オーストラリア・米国の4カ国の総初版部数は530万部にのぼった。この時点でローリングの収入は700万ポンドに上ると見込まれた。
35歳になる2週間前、母校のエクセター大学から名誉博士号を授与された。卒業式ではスピーチを披露した。
2001年、オーサー・オブ・ザ・イヤーに加えて、児童文学への貢献を評価され、女王の公式誕生日の叙勲で英国勲功章(OBE)を受章した。「サンデー・タイムズ」の長者番付では所得額は6500万ポンドだった[8]。
2001年には医師のニール・マレーと再婚し、2003年に男の子、2005年には女の子を出産している。
2007年7月21日、シリーズ最終巻となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売された。以後も公式サイトや、映画シリーズの製作等で、同シリーズに関わる。
政府の生活保護により離婚後の生活苦をしのいだ経緯から、労働党を支持している。
また紙媒体での本の重要性を説いており、電子書籍による自著の販売に反対していたが、オフィシャルストア「ポッターモア」でのアンケートなどを経て、2012年からハリー・ポッターシリーズ の電子書籍版を販売している。
2012年には、初の大人向け長編小説 『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』(The Casual Vacancy) を発表した。
2016年公開のハリー・ポッターシリーズのスピンオフとなる映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(Fantastic Beasts and Where to Find Them) では、脚本を担当する。ロバート・ガルブレイス名義
2013年、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性のペンネームで『カッコウの呼び声』という探偵小説を出版していたことが、サンデー・タイムズの調査により発覚した[13]。本人は「もう少し長く秘密にしておきたかった」と語った[13]。
ロバート・ガルブレイスは2003年から民間の警備保障会社に勤務している英軍警察の元隊員だと説明していたが、初めて書いたにしては出来が良すぎるのではないかと疑問を抱いたサンデー・タイムズ紙が、正体について調査した[14]。
資産
年収約1億2500万ポンド(日本円で約182億円)は、「歴史上最も多くの報酬を得た作家」とされている (Rags to riches)。
2003年5月、イギリスのお金持ちリストが発表され、ローリングがハリー・ポッターの本、映画、その他関連商品から手にした金額が560億円だったことがわかった。この金額はエリザベス女王よりも多く、イギリス国内では上から122番目の富豪になるという[15]。
2007年1月、経済誌フォーブス誌がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産1210億円で2位にランクインした。
2008年The Sunday Times Rich Listでは資産は5億6000万ポンドで、イギリス人女性の12位にランクインした[16]。
2010年1月、英大衆紙ザ・サンによると、スコットランドに260万ポンド(日本円で約3億7500万円)で5軒目となる新たな豪邸を購入したという。この豪邸は31部屋もある大邸宅であるが、ローリングは2、3部屋を見ただけで購入を即決したという。担当をした不動産屋は「彼女は2、3部屋を見ただけで即決しました。所有者が『2階は見なくてもいいですか?』と聞くまでは2階も特に見ようとはしていなかったです」と明かしている。さらにローリングは2010年のクリスマスは家族とこの家で過ごしたいと熱望し、現在の所有者がクリスマスまでに出ていくのであれば30万ポンド(日本円で約4500万円)を購入金額に上乗せして支払ってもいいと言っているという。総資産が5億6000万ポンド(日本円で約840億円)もあるローリングは今回の豪邸以外にもスコットランドに3軒、ロンドンに1軒の豪邸を所有しているという[17]。
影響を受けた作品
- 本にまつわる一番古い記憶は『たのしい川べ』を父親に読んでもらったことである。また、幼い頃はリチャード・スカーリーの作品に夢中になった。
- 『宝さがしの子供たち』などを書いたイーディス・ネズビットに大きな影響を受け、他にもスーザン・クーリッジの『すてきなケティ』やエニッド・ブライトンの作品、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』シリーズをよく読み、特にジェーン・オースティンの『エマ』は20回以上読んだ。また、ジェームズ・ボンドも好きになった[8]。
- ジェシカ・ミットフォード(ミットフォード姉妹の五女)の自伝『令嬢ジェシカの反逆」を読んで、ジェシカの勇敢で理想に燃える人物像に憧れを抱いた[8]。
- 中学時代にはウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』、J・V・マーシャルの『美しき冒険旅行』を読んでいた。
- 学校の行事で『リア王』を観に行ったことで演劇にも興味をもつようになる。その影響でウィリアム・シェイクスピアを好きになり、『冬物語』に出てくる「ハーマイオニ」という名前を自分の作品の登場人物の名前につけた[8]。
- パリの留学中には、日曜日は一日中部屋に篭ってチャールズ・ディケンズの『二都物語』を読んでいた。
- 大学在学中に『指輪物語』を読み、この壮大な物語の熱烈なファンとなった。全巻で1000ページに及ぶこの本は、長年の間繰り返し読まれたせいですっかりくたびれてしまった。
- ローリングはエリザベス・グージの『まぼろしの白馬』こそ「ハリー・ポッター」に一番の影響を与えた本だと語っている。
- クラシック音楽もかなり好きで、特にベートーヴェンの『熱情ソナタ』を好んだ。
- キャラクターの名前は地名辞典や『ブルーワー英語故事成語大辞典』を利用して考えた[8]。
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- ^ 講談社はJ.K.ローリング氏(『ハリー・ポッター』シリーズ著者)の最新作の独占翻訳権を取得しましたのでお知らせいたします。 [リンク切れ]
- ^ J.K.ローリング最新作、独占翻訳権を講談社が獲得!
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- ^ “「本当に感動した」ハリポタ作者が日本のファンが描いたイラストを絶賛”. (2016年11月30日) 2016年12月8日閲覧。
固有名詞の分類
児童文学作家 |
ローラ・インガルス・ワイルダー 国松俊英 J・K・ローリング 灰谷健次郎 アレン・セイ |
ファンタジー作家 |
イーディス・ネズビット 賀東招二 J・K・ローリング 大和真也 マーガレット・ワイス |
イギリスの児童文学作家 |
イーディス・ネズビット ウィルバート・オードリー J・K・ローリング ミシェル・マゴリアン ブライアン・ジェイクス |
イギリスのファンタジー作家 |
ルイス・キャロル イーディス・ネズビット J・K・ローリング ブライアン・ジェイクス ミシェル・ペイヴァー |
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