1989年の日本競馬
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できごと
1月 - 3月
- 1月7日 - 昭和天皇崩御による服喪で日本中央競馬会はこの日と1月8日に予定されていた中山競馬場、京都競馬場での開催は延期となった(1月7日の両競馬場第2日分は1月13日、1月8日の第3日分は1月20日にそれぞれ代替開催として施行。このため、当初から予定されていた1月14日・1月15日ならびに振替休日の開催(これは当初の計画通りであった)となる1月16日<第4・5・6日分>と1月21日・1月22日<第7・8日分>と合わせ、2週連続で金曜日からの連続開催となる。なお、1月13日 - 1月16日の4日連続開催はJRA史上初の出来事であった)[1]。同日、地方競馬全国協会は昭和天皇崩御に対する服喪による弔意を表すため、1月12日までに予定されていた各競馬場の開催を中止すると発表した。
- 1月13日 - ばんえい競馬を開催する北海道市営競馬組合が設立される[1]。
- 3月1日 - 日本調教師会の提案により調教師の70歳定年制が導入され、8名の調教師が勇退した[2][注 2]。
- 3月9日 - 株式会社ジャパン・ターフグラスが設立される[2]。
- 3月12日 - 阪神大賞典で2位に入線した圧倒的1番人気のスルーオダイナは他馬の進路を妨害し失格。騎手岡部幸雄は騎乗停止処分に。
4月 - 6月
- 4月1日 - 消費税導入により、中央競馬では諸賞金に3%上乗せされるようになる[2]。
- 4月9日 - 中山大障害(春)で11歳のキョウエイウオリアが優勝。11歳(現在の10歳)馬の重賞優勝は中央競馬史上初。
- 4月10日 - 新潟競馬場でターフビジョンの竣工式が行われる[2]。
- 4月16日 - 皐月賞でドクタースパートが優勝。北海道営競馬出身馬のJRAG1優勝は初。騎乗していた的場均はグレード制導入後初のG1優勝となった。
- 4月30日 - 京都競馬場で第1回オーストラリアデーが開催される[2]。
- 5月3日 - 阪神競馬場において、中央競馬の第1回ファン感謝デーが行われる[2]。
- 5月28日 - 東京優駿でウィナーズサークルが優勝。史上初の茨城県産・芦毛の東京優駿優勝馬となった。
- 6月3日 - オーストラリアにて行われた国際障害騎手招待シリーズに日本チームが参加し、6月13日に日本チームが団体優勝を飾る。また、個人戦では岡冨俊一が優勝した[2]。
- 6月9日 - イギリス・エプソム競馬場において、東京競馬場との交換競走「東京トロフィー」が実施される[2]。
- 6月18日 - 岡潤一郎が札幌競馬場でJRA記録となる5連続騎乗勝利を記録[注 3]
7月 - 9月
- 7月2日 - 芝コースが新設される札幌競馬場で、名物でもあった札幌記念がダートコースで行われた最後の回となった。優勝馬はダイナレター。
- 7月27日 - 日本中央競馬会運営審議会において議論されてきた、「同枠取消問題」についての答申が理事長宛てに行われる。のちの馬番連勝方式の導入の発端となる[2]。
- 8月31日 - 「89' インターナショナルレディースジョッキーシリーズ」が札幌・上山・金沢・大井の4競馬場で行われ、オセアニアから4名の女性騎手が招待され転戦した。同シリーズは1991年に「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」に改称され、1993年まで続けられた[2]。
- 9月10日 - 京王杯オータムハンデでマティリアルが4歳時のスプリングステークス以来2年6か月ぶりの勝利を挙げたが、ゴール後に故障を発症し、4日後に死亡。
- 9月23日 - オーストラリアのロイヤルランドウィック競馬場において、第1回ジャパントロフィーが開催される[2]。
- 9月25日 - 日本中央競馬会のマスコットの名称が公募され、「ターフィー」に決定する[2]。
10月 - 12月
- 10月2日 - 株式会社日本レーシングサービスが設立される[2]。
- 10月10日 - 札幌競馬場において、第1回ブリーダーズゴールドカップが開催される。第1回優勝馬はフエートノーザン[3]。
- 10月27日 - 第100回天皇賞を記念して、シンザンが描かれた記念切手が発行される[3]。
- 11月3日 - 南関東三冠の最終戦・東京王冠賞でロジータが優勝し、史上6頭目の南関東三冠馬となった。2012年時点で唯一の牝馬の南関東三冠馬である。
- 11月3日 - 中央競馬・美浦所属の田中朋次郎調教師が勲五等双光旭日章を受章[3]。
- 11月12日 - エリザベス女王杯では圧倒的1番人気に支持されたシャダイカグラが故障し失速(結果は最下位の20着)。20頭立て20番人気のサンドピアリスが、このレースでG1初騎乗となった岸滋彦を背に優勝し、単勝配当43,060円の大波乱。これはグレード制施行後のG1最高単勝配当記録で、現在も破られていない。
- 11月23日 - 笠松競馬場で行われた第2回全日本サラブレッドカップで、第1回の優勝馬でもあり9割以上の単勝支持を受けた圧倒的本命フエートノーザンが故障。懸命の治療の甲斐もなく12月12日に死亡。
- 12月17日 - 朝日杯3歳ステークスでアイネスフウジンが1分34秒4の3歳日本タイレコードで優勝。マルゼンスキーの3歳レコードに13年ぶりに並ぶ。
- 12月29日 - 南関東三冠馬のロジータが東京大賞典に優勝、牝馬としては史上初の「南関東四冠馬」となった[3]。
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