ジパングあさ6
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ジパングあさ6 ZIPANGU ASA 6 | |
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ジャンル | 情報番組・報道番組 |
監督 | 武井泉(総監督) |
演出 |
神田博 藤好耕 高田耕作 ほか |
司会者 |
関谷亜矢子 永井美奈子 松本志のぶ 角田久美子 山王丸和恵 魚住りえ 馬場典子 |
出演者 | 出演者を参照 |
オープニング | 『ジパングあさ6のテーマ』(作曲:宮川泰) |
製作 | |
チーフ・ プロデューサー | 城朋子 |
プロデューサー |
福地聡 古屋和子 菅沼直樹 ほか |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1992年3月30日 - 2001年9月28日 |
放送時間 | 平日 5:59 - 7:00 |
放送枠 | 日本テレビ系列朝の情報番組枠 |
放送分 | 61分 |
特記事項: 正式な放送開始時刻は5:59。 |
概要
前身は『ルンルンあさ6生情報』。当初こそ関東ローカルであったものの、年々ネット局数が増えていき、関東ローカルを前提として作られた番組であったが番組自体が窮屈な進行となっていき、番組内容を抜本的に見直す必要が出てきた。そこで『ルンルン』の後枠で放送された平日の『NNN朝のニュース』を吸収し、「全国ネット向けの内容に刷新」して開始。このためネットワークニュース枠も『NNNニュースジパング』と改題された(後述)。初代メインキャスターには関谷亜矢子と永井美奈子の同期入社のアナウンサー二人、新聞解説には『読売新聞あすの朝刊』や『ルンルンあさ6』などで既にテレビ出演していた中村慶一郎が抜擢された。その後もメインキャスターは日本テレビの若手女性アナウンサーが代々務め、その他のコーナーキャスターも同局アナウンサーやフリーキャスター・リポーターが中心となった。
視聴率は早朝番組としては異例の14%台も記録[1]。開始時刻を早めた(いわゆるフライングスタート)理由は、6:00:00丁度にニュースを読み出したいためで、他局で同時刻に始まる同種の番組にチャンネルを変えさせない意図があったとされる[1]。初期の番組オープニングも6時丁度に目覚まし時計が鳴る演出がされていた。
番組の後期には、占いキャラクター(グッディー&バッディー)が登場。占いのコーナーなどに使われた[2]。
オープニングテーマ曲の作曲は宮川泰。このうち初代のテーマ曲(1992年 - 1998年)が、約15秒という短さながらCD『宮川泰テレビテーマ・ワールド』(日本コロムビア、2018年8月29日発売)に収録されている。
シリーズの終焉
9年にわたり概ね好評であり、番組開始翌年の1993年以降の日本テレビ視聴率3冠王達成の起爆剤の1つにもなった当番組であったが、視聴率は裏番組の『やじうまワイド』(テレビ朝日)、『めざましテレビ』(フジテレビ)の上昇もあり末期は低下傾向にあった。そうしたことから、後枠の『ズームイン!!朝!』とともに、当時の土屋敏男編成局長指示の下、2001年秋の日本テレビ朝帯大改編に伴い、同年9月28日をもって終了。これにより、1983年5月から始まった『ルンルンあさ6生情報』と合わせた「あさ6」シリーズは18年5か月の歴史に幕を閉じた。同年10月1日からは、後継番組として『ズームイン!! - 』を当番組と『あさ天5』を吸収合併する形で枠大リニューアルさせた『ズームイン!!SUPER』(番組開始時の放送時間は5:30 - 8:30)を開始した。
出演者
メインキャスターは一週間を2人が半分ずつ担当。コーナーの多くを自局のアナウンサーが担当していた。 中村と橋本は解説コーナー「ここがポイント」だけでなく一般紙朝刊紹介も務め、本編のほぼ全体にわたって登場していたが、久保潔就任後は原則として「ここがポイント」専任となった。その後暫く、一般紙朝刊紹介はスポーツ担当アナウンサーが務めることが多かったが、2001年4月以降は報道局の呉文彦が「政治キャスター」の肩書きで朝刊紹介を務めていた。
司会者
期間 | メインキャスター | コメンテーター | |||||
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月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | |||
1992.3.30 | 1994.4.1 | 関谷亜矢子1 | 永井美奈子2 | 中村慶一郎 | |||
1994.4.4 | 1995.9.29 | 永井美奈子2 | 松本志のぶ1 | 永井美奈子2 | |||
1995.10.2 | 1996.9.30 | 永井美奈子2 | 角田久美子 | ||||
1996.10.1 | 1997.3.28 | 角田久美子 | 山王丸和恵 | ||||
1997.3.31 | 1998.3.27 | 山王丸和恵 | 角田久美子 | ||||
1998.3.30 | 1999.3.26 | 魚住りえ | |||||
1999.3.29 | 1999.6.25 | 中村慶一郎 橋本五郎 | |||||
1999.6.28 | 2000.3.31 | 橋本五郎 | |||||
2000.4.3 | 2001.2.2 | 馬場典子 | 魚住りえ | ||||
2001.2.5 | 2001.3.30 | 久保潔 | |||||
2001.4.2 | 2001.9.28 | 魚住りえ | |||||
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お天気キャスター
主に駆け出しの女性アナウンサーが担当していたが、一時は寺島淳司、長谷川憲司といった男性アナウンサーが担当していたこともあった。また、藤井と矢島は「○○生活研究室」と兼務していた。◎は後にメインキャスターに就任したアナウンサー。
- 加藤ゆずか
- 角田久美子◎
- 魚住りえ◎
- 清原久美子
- 藤井恒久
- 矢島学
- 寺島淳司
- 長谷川憲司
- 馬場典子◎(1998年6月 - 1999年9月)
- 柴田倫世(1998年10月 - 2000年9月)
- 山本真純(1999年10月 - 2001年3月、2001年4月以降はスポーツ紙紹介コーナー担当に変更)
- 小野寺麻衣(2000年10月 - 2001年3月、お天気降板後もリポーターとして随時出演)
- 斉藤まりあ(2001年4月 - 2001年9月、『ズームイン!!朝!』と兼任)
ちなみに柴田倫世の担当最終日は、松坂大輔との交際が週刊誌およびスポーツ紙で報じられたその日であった(後に結婚)。
スポーツキャスター
基本的にスポーツ実況担当の男性アナウンサーが歴任していたが、初期には報知新聞社の柏英樹記者(当時)もキャスターを務めていた。
- 若林健治
- 増田隆生(初期、スポーツコーナー降板後もグルメ情報を担当していた時期があった)
- 金子茂( - 1998年3月)
- 今井伊佐男( - 1998年10月)
- 平川健太郎( - 1999年9月)
- 多昌博志(1998年4月 - 2000年11月)
- 村山喜彦(1998年11月 - 2001年9月)
- 河村亮(1999年10月 - 2001年9月)
- 鈴木健(2000年11月 - 2001年3月)
- 蛯原哲(2001年4月 - 2001年9月)
○○生活研究室→ジパング総研
「○○」の中には担当アナウンサーの苗字が入る。
- 初代:藤井恒久(天気コーナーと兼務)
- 2代目:矢島学(天気コーナーと兼務)
- 3代目:後藤俊哉(1998年9月 - 1999年12月)
- 4代目:町田浩徳(1999年12月 - 2000年12月、2001年以降はスポーツ紙紹介コーナー担当に変更)
スポイチパッと読み
番組末期には6時台前半にもスポーツ紙の紹介コーナーが新設された。
- 町田浩徳(2001年1月 - 2001年9月)
- 菅谷大介(2001年1月 - 2001年3月)
- 山本真純(2001年4月 - 2001年9月)
芸能情報
主に若手の男性アナウンサーが担当。後期はあさ天5の新聞紹介コーナーも兼務している。
- 菅谷大介(1998年4月 - 1999年10月、後にスポーツ紙紹介コーナー担当として復帰)
- 町田浩徳(1998年8月 - 2000年4月、1999年12月より生活研究室のコーナーも兼任)
- 新谷保志(1999年10月 - 2001年9月)
- 高橋雄一(2000年4月 - 2001年9月)
リポーター
特集コーナー「アングル」や曜日コーナーなどを担当。こちらはフリーのキャスターおよびリポーターが担当していた。
- なお、矢野自身は2012年3月まで『目がテン』に出演した。また、角田も広報担当として『目がテン』のスタッフに名を連ねていた(角田が『目がテン』の広報担当を降りた時期については不明)。
- 今中麻貴
- 長谷川洋子
- 林ゆり - 1994年度は読売テレビのローカルコーナーでキャスターを担当。1995年1月17日の阪神・淡路大震災の際には、本番前の打ち合わせ・リハーサル中に地震に遭遇した。ローカルコーナーから降りた後、全国パートのリポーターを務めていた。
- 清原久美子 - 番組開始時はテレビ金沢のアナウンサーで、ローカルコーナーのキャスターを担当。1994年にフリーへ転向してからは全国パートのリポーターを務めていた。
報道局ニュースキャスター
注釈
- ^ 自社制作の『朝6生ワイド』放送のため。
- ^ 1998年9月までは○。それ以降は自社制作の『あッ!晴れテレビ』を放送。
- ^ 『YBCジパングあさ6』として一部時間帯を差し替えてネット。
- ^ 自社制作の『山梨の朝』放送のため、1992年3月から1998年3月までは前半部のみネット。1998年4月から2001年9月までは『山梨の朝』に内包する形で『NNNニュースジパング』等の一部コーナーをネット。
- ^ 番組開始当初は6:15飛び乗り[3]
- ^ 1997年9月29日 - 1998年2月27日は自社制作番組「NAGANOでドキン」放送のため6:25で飛び降り。
- ^ 番組開始から1998年3月までは番組後半のコーナーを除いて同番組の大半をネット→1998年4月から1999年3月まではローカル番組『あさチャン!!』立ち上げでごく一部のコーナーのみネット→1999年3月から6月末までは6時42分まで同番組を放送した後ローカル番組に切り替え→1999年7月から最終回までは『ジパングあさ6 あさチャン!!』というタイトルで静岡県内のニュースや地域情報と同番組を交互に放送
- ^ 1995年9月までは△(主要コーナーを自社制作番組『朝6のってるワイド』に内包して放送していたため)。1995年10月の改編で正式に『ジパングあさ6』に内包され、末期はほぼフルネットとなっていた。
- ^ 自社制作番組(1994年3月までは6時から6時15分まで『早見優のアメリカンキッズ』、6時15分から7時までが『おはようテレワッサン』、同年4月からは『おめざめワイド600→教児のおめざめワイド』)放送のため。『テレワッサン』『おめざめワイド』にそれぞれ内包する形で『NNNニュースジパング』をネット。
- ^ 1993年9月 - 1998年3月は○。それ以外の期間は自社制作番組に内包する形で『NNNニュースジパング』をネット。
- ^ なお、〇だった1993年9月 - 1998年3月の間は編成上は7:00までの放送となってはいたが、実際には6:45過ぎのCM前で飛び降りていた。飛び降り後は大阪のスタジオから近畿地方のニュース・天気予報を放送し、その後当日の『ズームイン!!朝!』の中継先から同番組の中継キャスターが挨拶するなどして番組終了となっていた(当然エンドロールは出ず、終了時のテロップも「制作著作 日本テレビ」ではなく「続いて ズームイン!!朝!です」となっていた)。
- ^ 一部コーナーを『KRYさわやかモーニング』に内包。
- ^ 当初は6:30飛び降りでネットしていたが、自社制作番組『あさ6・45』の立ち上げと番組整理により『NNNニュースジパング』のみのネットに移行。後継番組の『ズームイン!!SUPER』は第1部のみネット。
- ^ 自社制作番組(1994年3月までは『朝一番!OKINKA-TV→ジパングあさ6 OKINKA-TV』、1997年6月以降は『はやおきだいすき!+ジパング』(ここまでは一部コーナーを部分ネット)→『朝ドキッ!九州』)放送のため。1994年4月 - 1997年5月は○。
- ^ 1994年4月1日の開局時から。
- ^ なお、鹿児島県においては、KYT開局前日の1994年3月31日まで、それまで日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネット局だった鹿児島テレビ(KTS)が当番組をネットしていた。ちなみに、KTSはネット打ち切り翌日(フジテレビ系フルネット化)の同年4月1日から、同日にフジテレビが開始した報道・情報番組『めざましテレビ』を当番組の後継番組扱いでネットしている。
- ^ なお、福澤は『 - SUPER』の前身でかつ当番組の後座番組だった『ズームイン!!朝!』で番組終了時に司会を務めていたため、本番組に出演したあと『ズームイン!!朝!』最終回の生放送に出演していた。
出典
- ^ a b 『テレビ夢50年』番組編・5(1989 - 1995 日本テレビ50年史編集室 編)p.59
- ^ 女子アナにも程がある p.146 - 147
- ^ 『ザテレビジョン長野・新潟版』1992年3月25日発売分掲載の番組表
- ^ 女子アナ日記 p.18 - 19
- ^ 1993年3月15日、読売新聞夕刊(19面)、朝日新聞夕刊(7面)、毎日新聞夕刊(8面)それぞれ掲載の記事。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「大枠編成で“特別な日”を伝える 日本テレビ / 伊藤和明」『月刊民放』第23巻第9号、日本民間放送連盟、1993年9月1日、6 - 8頁、NDLJP:3471093/4。
- ^ 女子アナにも程がある p.148 - 149
- ^ 女子アナにも程がある p.94 - 97
- ^ 魚住りえ 著「たった1日で声まで良くなる話し方の教科書」- 「特別付録3 魚住式メソッド50のコツを一挙公開!」より
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