阪急5200系電車 製造

阪急5200系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 03:47 UTC 版)

製造

1970年6月に5200-5240+5230-5700-5740-5710-5750-5250の8両編成1本が竣工、12月には5201-5241+5231-5701-5741-5711-5251の7両編成1本と5202-5242+5232-5702-5252の5両編成1本が、翌1971年5月には5203-5243、5233-5244の2両編成×2本と付随車の5751が竣工した。メーカーはいずれもアルナ工機である。

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竣工
Mc' Mc Mc' M M' M T Tc
5200 5240 5230 5700 5740 5710 5750 5250 1970年6月[6]
5201 5241 5231 5701 5741 5711 ---- 5251 1970年12月[4]
---- ---- ---- ---- ---- ---- 5751 ---- 1971年5月[4]
Mc' Mc Mc' M Tc
5202 5242 5232 5702 5252 1970年12月[4]
Mc' Mc Mc' Tc
5203 5243 5233 5244 1971年5月[4]

運用

トップナンバー5200 西宮北口駅 1976年10月19日
神戸線特急 5241ほか8両
園田駅 1988年

製造当初より神戸線に配属されたが、第1編成は登場直後の1970年夏に冷房車お披露目のため宝塚線での運用実績がある[5]

連解運用を含めた山陽電鉄直通の須磨浦公園駅行き特急運用は当時の神戸線優等列車の花形運用であり、5200系は朝夕ラッシュ時の連解運用から昼間時の6両編成での運用まで幅広く山陽直通の特急運用に充当された。

1977年12月のダイヤ改正で、連解運用は6000系に置き換わった。8両編成は神戸本線を中心に、6両編成は連解運用を伴わない須磨浦公園乗り入れ運用に充当されたが、6000系の増加と本線での6両編成の運用の減少もあって、同じく6両編成を組む5000系や5100系とともに今津線に入線するようになった。1980年に7000系が登場すると、翌1981年より支線転用が更に進んだ[4]

5200系は試作冷房車で特殊性が強く、両数も25両と少数のため、種別・行先表示幕の設置も見送られ、大きな改造もされないまま推移した[4][3]。1990年の時点では2000系・2800系の付随車を編入の上で6両編成となり、今津線で運用されていた[7]。後に5201Fは4両編成化の上で伊丹線に転属した。

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災においては5201Fが伊丹駅で被災したものの修復された。5201Fは1996年の8月に数日間のみ箕面線に転属した。

1997年11月に行われた宝塚線のダイヤ改正に伴い、5230Fに対して「西宮北口-宝塚」の簡易表示幕の設置が行われた(昼間の宝塚駅で、宝塚線・今津線が同一平面での乗り換えとなるため)。

最後まで残ったのは今津北線用の5230Fと伊丹線用の5201Fであったが、1998年の山陽電鉄への定期乗り入れ廃止に伴う編成替えで余剰となり[8]、運用を離脱した。さよなら運転などのイベントは実施されなかった[8]

廃車

5251の前頭部(2009.10.25正雀工場にて撮影)

5200系は早期の淘汰対象となり、1991年より廃車が開始された[3]。1991年12月18日付けで5711・5741、1992年3月19日付けで、5200Fが、1992年夏には、8000系8020Fの増備に伴い同年8月28日付けで5202Fが廃車となった。1997年春に8040形の増備に伴い同年3月27日付けで5203Fが廃車となり、同時に神戸線系統の2800系が全廃となった。

1998年に運用を離脱した5230Fと5201Fは、神戸線所属のまま1年以上にわたり宝塚線の平井車庫に疎開留置されていたが、1999年12月から2000年1月にかけて正雀工場回送[8]、2000年1月18日付けで廃車となり、5200系は全廃となった[3]

廃車となった車両の台車は8000系・8300系の新造時に流用されたほか[9]2008年には7000系7012Fに換装された[10][11]

5251の前頭部カットボディは正雀工場内で保存され、レールウェイフェスティバル時に公開されている。


注釈

  1. ^ 制御器の故障により、暫定的に編成を変更したという説がある。
  2. ^ このダイヤ改正で本形式ともども神戸本線及び今津線で運用されていた5000系6両編成×3本が、中間に2880形や2000・2021系付随車を組み込んで8両編成となり、代わりに本線で運用されていた2000系8両編成×2本が3両編成×4本と6両編成×2本に分割されて南北分断後の今津線運用に就いた。

出典

  1. ^ a b c d e f 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、電気車研究会。248頁。
  2. ^ a b c 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、交友社。131-132頁。
  3. ^ a b c d e f g 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、電気車研究会。249頁。
  4. ^ a b c d e f g h 山口益生『阪急電車』177頁。
  5. ^ a b 『私鉄の車両5 阪急電鉄』37頁。
  6. ^ 山口益生『阪急電車』176頁。
  7. ^ 阪急電鉄・諸河久『日本の私鉄7 阪急』保育社、1990年。92頁。
  8. ^ a b c 佐々木晶朗「阪急電鉄 車両のうごき」『鉄道ピクトリアル』2000年4月号、92頁。
  9. ^ 杉山直哉「阪急8000・8300系30年のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2018年10月号、電気車研究会。79-80頁。
  10. ^ 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、電気車研究会。264頁。
  11. ^ 阪急7000系7012編成に変化 鉄道ニュース(railf.jp)、2009年1月20日。
  12. ^ 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、電気車研究会。245頁。


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