診療放射線技師 歴史

診療放射線技師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 09:11 UTC 版)

歴史

医療における放射線の利用は、元々医師によって行われていたが、放射線診療技術の高度化に伴い、高いレベルでの専門知識や技術を身につけた専門職として診療放射線技師の職域が形成されていった。一般に、診療放射線技師以外の医療職も、従来の医師の分野から派生した職域が多く存在する。

英国初の診療放射線技師であるErnest H. Harnack(1890年代撮影、ロイヤル・ロンドン病院にて)。1896年にロイヤル・ロンドン病院に入職したが、当時まだ解明されていなかった度重なる被ばくによって両手を失い、1909年に引退した。
診療放射線技師のパイオニアの一人であるElizabeth Fleischman(1899年撮影)。1896年にサンフランシスコにX線研究所を設立し、そこで地元の医師に代わって患者を診察、その撮影技術から当時"最も優れたX線写真を撮影する女性"と謳われた。また彼女は被ばくによって死亡した初めての女性でもあった。

診療放射線技師はコメディカルの中でも比較的古い職種であり、その誕生は1895年にW. C. レントゲンX線を発見したことに始まる。X線の存在が知られると、医師たちはその6ヶ月以内に早くもその性質を利用して病気の診断を行いはじめた。しかし、医師がX線装置を最も効果的に使用するには、フィルム現像や機器のメンテナンスといった時間のかかる作業を他の誰かに処理してもらわなければならないということに気付くのに、それほど時間はかからなかった。1890年代後半には、診療放射線技師の前身となるX線診断装置の照射やメンテナンスを生業とする専門家・技術者が誕生している。また初期の技師は放射線防護に対して無関心な環境でその仕事を請け負っていたために、放射線業務に従事するその他多くの医師、看護師、研究者などと同様に、知らず知らずのうちに重い身体的負担を受けていた。X線が発見されてから20年近く経って、やっと鉛エプロンフィルムバッジなどの予防措置が取られるようになった。

第一次世界大戦中の技師の服装(1918年、フランス

第一次世界大戦中、X線を用いた診断治療は盛んに行われた。中でもドイツ/英国貴族グレイヒャン卿の令嬢Helena Gleichenによる、負傷兵に埋め込まれた弾丸を正確かつ迅速に描出した放射線技師としての活躍は、"忘れ去られた英雄"としてその逸話が残されている[1]。大戦後、X線に携わる技術者たちは激増し、彼らを取りまとめる教育・組織体系が必然的に求められていった。しかし当時は未だ撮影技術に対する明確な教本などはなく、技師たちは自身の技術を他者に説明する術は持ち合わせていなかった。そんな中、医師の父を持ち医療機器メーカーを立ち上げていたEddy C. Jermanと呼ばれる一人の技術者が、放射線技師の教育、組織、正当性を訴え、1920年10月にJermanと13人のX線技師(その半分は女性であった)によってアメリカで初の放射線技師のための協会「米国放射線技師協会(American Association of Radiological Technicians)」(現・「American Society of Radiologic Technologists(ASRT)」)が設立された。また同年には、イギリスにおいて放射線技師6人と電気技師6人によって「英国放射線技師協会(Society of Radiographers(SoR))」が設立されるなど、着実に診療放射線技師の職業的地位の向上が図られていった。1925年にはICRUが設立され、また1928年にはX線撮影技術学における初の教本である「Modern X-ray Technic」がJermanによって執筆された。

「島津レントゲン技術講習所」第一回入学式の様子(1927年9月撮影)
RAMCにおける放射線技師養成クラスの集合写真(撮影時期不明、ロンドン

日本では、1912年に医学者の藤浪剛一ウィーン大学からX線撮影技術を持ち帰り、順天堂医院に日本初のレントゲン科が設立された。その後、順天堂医院で藤浪に師事した医学者の瀬木嘉一が、1923年に放射線技師(当時はレントゲン技術者[2])の有志を集めて「蛍光会」を発足、1925年には会員増加のために順天堂から独立・改組され「日本レントゲン協会」となり、後の「日本放射線技術学会(1942年設立)」「日本放射線技師会(1947年設立)」に繋がることになる[3](また後の国家資格制定にも大きく貢献することになった)。因みに1925年当時、日本全国には既に1500人程度のレントゲン技術者がいたという[2]。1927年には日本初のX線技師養成学校「島津レントゲン技術講習所」が京都木屋町二条に設立される。その噂は海外にまで伝わり、第一回受験者は数百人にも上った。入学者は21人となったが、その全員が男性であった。当初の教育期間は6か月であり、X線装置の原理とその撮影法、電気理論のほか、解剖生理学電気事業法令なども教授された。また実習では、当時、その性能の高さから「レントゲンの島津」と呼ばれる所以となっていたダイアナ号とジュノー号を使うなど、最新の技術が学べる環境を整えた。さらには京都大学教授による修養講座も設けられ、一般教養も学ばれた[4]

以後、診療放射線技術の高度化により教育期間が延長され、教科目も拡大していった。日本においては、1951年に診療X線技師法が成立したことで「診療エックス線技師」として国家資格が与えられ、その翌年から学生への2年制教育が開始される。それ以前は学生が診療放射線技術を学べる機会は少なく、電気工学科などを卒業した20代以上の社会人に現場や養成校で教授されるのが常であった。彼らの有していた基礎知識は、「医用電気工学」など医療に特化した科目となって、教育カリキュラムに取り入れられた。1968年には新たに診療放射線技師法が制定され「診療放射線技師」が誕生、業務は診療X線技師と分担化され、教育期間は2年制と並行して3年制教育も行われるようになった[5]。1983年には診療X線技師が廃止され、診療放射線技師の一本化となり、教育期間も3年制のみとなった。アメリカでは、1964年に、前述した「米国放射線技師協会」の名が「...Technicians」から「...Technologists」に変更されており、診療放射線技師業務の高度化が表れている。

日本における技師の4年制大学教育は、1987年に藤田学園保健衛生大学(現・藤田医科大学)に診療放射線技術学科が設置されたことにはじまり、1991年には鈴鹿医療科学技術大学(現・鈴鹿医療科学大学)に、1993年には大阪大学、2019年には順天堂大学保健医療学部を開設するなど、その数を増やしていった[5]。日本初のX線技師養成学校の島津レントゲン技術講習所は、1970年に、京都放射線技術専門学校、1989年に、京都医療技術短期大学となり、2007年4月に、京都医療科学大学となっている[6]#教育項においても述べるが、近年では、医療機器の多様化・高度化や業務の拡大、読影補助の重要性などが叫ばれており、3年制教育では賄いきれない場面も現れはじめている。それ故に4年制大学卒業者が急増しており、また大学院進学や第一種放射線取扱主任者資格の在学中の取得なども一般的になりつつあるなど、技師の高学歴化が予想されている。

現在、医師が自らX線撮影CTなどの検査を実施することは非常に少なくなり、高度な放射線検査の技術を身につけた診療放射線技師が専ら行っている。医療分野においても、細分化・分業化が進んでおり、現代の高度なチーム医療の一員として、診療放射線技師は不可欠となっている。医師に画像特性や読影などの知識を指導する状況も多々見られている。

近年の技師養成校の増加により、需要と供給のバランスから今後供給過剰になることが示唆されているが[7]、一方で、企業研究所などへの就職の幅が広まりつつあり、将来的にはさらに広がる期待もある[7]。また、実際にはその時点で働いている技師数以上に、技師の需要がある場合も考えられ、多くの医療機関でさらなる技師の需要があることも推測される[7]

X線フィルムを確認する女性技師たち(1943年、ロンドン)

元々放射線分野においては、キュリー夫人をはじめとして女性の活躍の機会は少なくなかったものの、戦後に入り欧米では他職種と同じく女性技師は急増し、今日ではアメリカの技師の約7割が、ドイツに至ってはその約9割が女性となっている[8]。ただし近年は、前述の通り世界的にも技師の教育期間が延長し高学歴化する傾向にあり、関連資格取得や研究などの選択肢が一般化してきたために、欧米では再び男性技師が増加してきている(この流れは日本における薬剤師臨床検査技師にも見られる)。因みに日本や韓国などのアジア圏では、技師は古くから男性の職種として認識されており、未だ男性技師が7割以上となっているため、逆に女性技師の増加が期待されている[8]。なお現状として、女性の数が圧倒的に多い医療業界において、いまだに男性優位の旧態依然とした古い職種はごくわずかになっている(他に医師・歯科医師など)。


  1. ^ Helena Gleichen: pioneer radiographer, suffragist and forgotten hero of World War I THE CONVERSATION
  2. ^ a b 太田資嘉, 工藤勝也, 「瀬木診療所に於けるレントゲン技術員の集い」『医科器械学雑誌』 1954年 24巻 9号 p.24-25, 日本医療機器学会, doi:10.4286/ikakikaigakuzassi.24.9_24, NAID 110002532060
  3. ^ 学会の発展に貢献された方々 日本放射線技術学会
  4. ^ 医学の発展に寄与した日本初のX線技師養成学校 品性と技術に優れた技師を育てた高い志とは 島津製作所
  5. ^ a b 中澤靖夫 「診療放射線技師教育の在り方」 日本診療放射線技師会
  6. ^ 本学の歩み 京都医療科学大学
  7. ^ a b c 青木祐美・谷祐児・藤原健祐・小笠原 克彦 「診療放射線技師数の需要と供給の将来予測」 2018年, 日本放射線技師会
  8. ^ a b 診療放射線技師のことがわかる本 日本診療放射線技師会
  9. ^ 一般職の職員の給与に関する法律第6条、人事院規則9―2(俸給表の適用範囲)第12条から第14条
  10. ^ 原子力安全技術センター”. www.nustec.or.jp. 2021年12月14日閲覧。
  11. ^ 労働安全衛生法に基づく免許の交付要件 | 東京労働局
  12. ^ 第1種作業環境測定士(放射性物質)資格取得までの道のり - 日本アイソトープ協会
  13. ^ 臨床検査技師の紹介”. 一般社団法人 日本臨床衛生検査技師会. 2021年12月14日閲覧。






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