萩原舞 (AV女優) 萩原舞 (AV女優)の概要

萩原舞 (AV女優)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 09:55 UTC 版)

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はぎわら まい
萩原 舞
プロフィール
別名 渡邊 紗希
久保 くるみ
愛称 まいちぃ
マイチィ
マイマイ
生年月日 1982年3月22日
現年齢 39歳
出身地 日本大阪府
血液型 AB型
公称サイズ(2008年[1]時点)
身長 / 体重 153 cm / kg
スリーサイズ 84 - 57 - 84 cm
ブラのサイズ E
単位系換算
身長 / 体重 5 1 / lb
スリーサイズ 33 - 22 - 33 in
活動
デビュー 1997年
ジャンル アダルトビデオ
出演期間 2004年 - 2006年, 2008年
他の活動 お菓子系アイドル
テンプレート | カテゴリ

ハロー!プロジェクトのアイドルと同姓同名であるが、全くの別人[注 1]

人物・来歴

ASAYANオーディション

中学卒業間近の1997年1月渡辺 紗希(わたなべ さき、渡邊 紗希)名義[注 2]テレビ東京オーディション番組『ASAYAN』に出演し、東京で行われたヴォーカリストオーディションにてMY LITTLE LOVERの楽曲「NOW AND THEN 〜失われた時を求めて〜」を歌唱[2]。最終選考にまで残るが[3]、結果は「MAX松浦の判断で該当者なし」となり[4]、デビューには繋がらなかった。この結果に、本人は「納得いきません」と話している[4]

お菓子系時代

一旦は芸能への道を絶たれた形となったが、その後、路上スカウトによりグラビアモデルとしての活動を決意。お菓子系雑誌『クリーム』(1997年8月号)でグラビアデビューを飾った。なお、このときスカウトを行った人物である千堂絵美(後の清水かおり)は、以後萩原のマネージャー業務を担当したが、スカウト当時は自らもお菓子系アイドルとして活動していた異色の存在であった。萩原本人は、現役モデルによるスカウトであったことが仕事を受諾した一因と話している。

デビュー最初期はこの千堂マネージャーによって与えられた久保 くるみ(くぼ くるみ)名義で誌面に登場していたが、この芸名を「変だからヤダ」と感じたことから萩原 舞と自ら考案し、改名[5]

ファースト写真集で下着越し陰毛を披露する等、当初から露出には比較的寛容な態度を見せ、春田萌(後の北島優)などと並びお菓子系人気モデルの一人となった。しかしグラビアモデルの収入は少なく、生活費を稼ぐためにコンビニアルバイトをしていると公言していた[注 3]

ヌードモデル時代

2000年、18歳の誕生日当日に初のヘアヌードグラビアを撮影。『WOoooo!B組』(2000年5月号)掲載のインタビューにて、本人が「初ヌード」と言及したことで明らかになった。また、東京で行われた初のヌード撮影会には発表直後に予約が殺到した。その後数年間で数多くの写真集イメージビデオを出版するなどヌードモデルとして活動した。

ヌードになった経緯や心情については、必ずしも一貫した説明はなされていない。ヌード騒動当時、インターネット上のファンコミュニティにて「水着の次は下着、下着の次はセミヌード、セミヌードの次はヌードと流れが出来ていて、この業界に居るには脱ぐしか無くなってしまった」と語っている[6]。一方、別の機会には「水着や下着の頃は貧乏で、前から18歳になったら収入の多いヌードモデルになるつもりだった」と発言したこともあり、近い時期のアダルトビデオ出演に前向きな姿勢を明かしたりもした[6]。しかし、その後は幾度となく態度を変え、AVデビュー直前になっての出奔や芸能活動引退表明、直後の復帰など逡巡が見られた。

2003年9月30日、バウハウスの専属契約が終了。当時の公式ウェブサイト「マイチィドットネット」も同日付で閉鎖された。

AV女優時代

2003年11月、ジャパンホームビデオ専属女優としてのAVデビューが発表され[7]、2004年2月にデビュー作『夢より星より太陽より』が発売された。このAVデビューにあたっては萩原舞専用の「みるくる」レーベルが創設され、出演料は一作400万円[8] と異例の厚遇となった。この時期の出演作は、男優との本番行為はおろかキスさえも実際には行っておらず、一般映画の「ベッドシーン」に近い手法の徹底的なソフトコア路線だったため賛否が分かれたが、結果的にはヌード同様に好セールスを果たした。AVデビューと同時期に競泳選手の北島康介との交際が写真週刊誌によって報じられた[9] ことも話題作りに一役買ったとされる。

「みるくる」レーベルは3作で実質終了となり、半年後の2004年11月からは既存レーベルであるアリスJAPANに移籍。2006年まで新作が継続的にリリースされた。この時期にはキスやフェラチオは実際に行われるようになったが、本番行為はなく全作を擬似挿入で撮影したという[10]

2008年7月、雑誌紙面上と本人ブログ[10] にて久々のAV復帰を宣言。9月リリースの復帰第1作『解禁』では大島丈を相手に初めて本番行為を行っている。この復帰作のメーカーであるマキシングとは3作契約とされていたが、実際は10月リリースの2作目で途切れている。2009年8月に先述2作の総集編がリリースされたが「今後も発売するものもない」[11] と本人が明言、3作目の所在は不明のままとなった。2009年10月31日に当時の公式サイト「マイチィ・ウェブ」が閉鎖、同サイトの最終更新時[12] に告知された「お知らせブログ」も程なくして閉鎖された。

作品

イメージビデオ

  • 平成女学園高等部 体力測定編(1999年4月23日、ソフト・オン・デマンド
  • 平成女学園高等部 水泳編(1999年4月23日、ソフト・オン・デマンド)
  • 少女みるくる(2001年2月9日、バウハウス) - 初のヘアヌードビデオ
  • みるくるの秘密(2001年3月9日、バウハウス)
  • なんてったって、舞ちゃん。(2001年4月7日、バウハウス)
  • みるくる伝説(2001年4月28日、バウハウス)
  • PLATONIC LOVE(2002年3月22日、バウハウス)
  • みるくる2002表バージョン(2002年11月20日、バウハウス)
  • みるくる2002裏バージョン(2002年11月20日、バウハウス)
  • b*LIVE(2003年5月25日、バウハウス)
  • 4人にマワされた萩原舞(2003年7月27日、バウハウス)
  • みるくるリターンズ(2003年9月26日、バウハウス)
  • みるくるマニア(2003年11月27日、バウハウス)

アダルトビデオ

  • 夢より星より太陽より (2004年2月27日、みるくる)※AVデビュー作
  • マイチィ・リップス (2004年3月26日、みるくる)
  • 愛をかけてください 完全版 (2004年5月28日、みるくる)
  • 嬲られ姫 (2004年11月19日、アリスJAPAN
  • 女尻 (2004年12月24日、アリスJAPAN)
  • 姦理人は女子校生 (2005年2月18日、アリスJAPAN)
  • Juicy Love (2005年3月18日、アリスJAPAN)
  • 奴隷飼育M〜囚われのナース〜 (2005年4月22日、アリスJAPAN)
  • 萩原舞スペシャル (2005年5月25日、サクセス・ビデオコミュニティー)
  • 逆ソープ天国 (2005年6月24日、アリスJAPAN)
  • Kiss to Kiss (2005年7月22日、アリスJAPAN)
  • フェティッシュ舞 (2005年8月19日、アリスJAPAN)
  • SWEET LONELY SISTER (2005年9月23日、アリスJAPAN)
  • 絶頂ルート69 (2005年10月21日、アリスJAPAN)
  • 萩原舞スペシャル2 (2005年10月26日、サクセス・ビデオコミュニティー)
  • 猥褻モデル (2005年11月18日、アリスJAPAN)
  • 白液姫〜しろえきひめ〜 (2005年12月16日、アリスJAPAN)
  • ももいろの園 (2006年1月20日、アリスJAPAN) - 共演:早乙女みなき、白河みゆり
  • マイチィの痴女日記 (2006年2月17日、アリスJAPAN)
  • 悶絶セレナーデ (2006年3月17日、アリスJAPAN)
  • 萩原舞スペシャル3 (2006年7月28日、サクセス・ビデオコミュニティー)
  • COMPLETE FUCK 萩原舞 (2006年12月22日、アリスJAPAN)※総集編
  • COMPLETE FUCK 萩原舞 2 (2007年4月27日、アリスJAPAN)※総集編
  • アリスピンクファイル あの新基準モザイクで魅せる! 萩原舞 (2007年6月29日、アリスJAPAN)※総集編
  • アリスピンクファイル あの新基準モザイクで魅せる! 萩原舞2 (2007年7月13日、アリスJAPAN)※総集編
  • 解禁 (2008年9月16日、マキシング
  • 偶像破壊 淫絶FUCK! (2008年10月16日、マキシング)
  • 萩原舞コレクション (2009年8月16日、マキシング)※総集編

注釈

  1. ^ ハロプロの「萩原舞」は1996年生まれの本名であるのに対し、本人は1997年頃から使い始めた芸名であるため、インタビューで「彼女の方が萩原舞歴長いんですよ」と答えている。
  2. ^ この名義は現在の芸名になってからの1998年にも『BUBKA』1998年8月号や『ヤングマガジンSPECIAL』誌上にて使っている。
  3. ^ ただし、収入を理由とする説明はヌード以後の回想で明かしたものであり、グラビアモデル当時は「金銭感覚を養う」ことを理由に挙げていた。

出典

  1. ^ 公式プロフィール”. 女優紹介. マキシング. 2013年9月24日閲覧。
  2. ^ ウォーカルオーディション 今週のスタジオオーディション出演者”. asayan.com (1997年1月19日). 2014年7月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年12月26日閲覧。
  3. ^ ヴォーカルオーディション 松木真理子・益田祐里・渡辺紗希の3人です!”. asayan.com (1997年1月19日). 2014年7月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年12月26日閲覧。
  4. ^ a b ヴォーカルオーディション 該当者無し!”. asayan.com (1997年2月2日). 2014年7月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年12月26日閲覧。
  5. ^ 11月30日のコメントのお返事”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ (2005年12月6日). 2009年4月7日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ a b 萩原舞ちゃんついにヌード!”. 美少女探検会議室. Cream Unoffical HomePage (2000-04-08 - 2000-05-04). 2001年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月6日閲覧。
  7. ^ 飛鳥浩 (2003年12月10日). “3ヶ月先から大騒ぎ! 萩原舞AVデビュー”. [アダルトビデオ]All About. オールアバウト. 2003年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月6日閲覧。
  8. ^ “マイチィ”萩原舞がAVに転身した「みるくる」事情”. Mr.Showbiz (2004年6月17日). 2004年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月6日閲覧。
  9. ^ 五輪・北島、意外な“金効果”で萩原舞が大人気 AV異例の「予約」まで”. ZAKZAK. 産経デジタル (2004年8月21日). 2013年9月24日閲覧。
  10. ^ a b AV発売”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ (2008年7月18日). 2008年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月6日閲覧。
  11. ^ 久しぶりの更新”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ (2009年7月16日). 2009年7月16日閲覧。[リンク切れ]
  12. ^ ここのサイト”. マイチィブログ. マイチィ・ウェブ (2009年8月30日). 2009年8月30日閲覧。[リンク切れ]


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