罪刑法定主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 02:08 UTC 版)
概要
ラテン語による標語"Nulla poena sine lege"(法律なければ刑罰なし)により知られ、罪刑法定主義と日本語訳されるこの概念は、ラテン語ではあるがローマ法に原典をもつものではなく、近代刑法学の父といわれるドイツ刑法学者フォイエルバッハにより1801年に提唱されたものである[1]。なお、この標語は"Nulla poena sine crimine; Nullum crimen sine poena legali."(犯罪なければ刑罰なし、法定の刑罰なければ犯罪なし)と続く。
この原則の淵源は、1215年のマグナ・カルタに遡り、そこで謳われた法定手続の保証がイギリス帝国で再三確認されたのち、アメリカ合衆国に渡り、1776年ヴァージニア州権利章典8条に、1788年アメリカ合衆国憲法に、またヨーロッパに戻り、1789年フランス革命人権宣言8条がこれを宣言し、1791年のフランス憲法に盛り込まれ、全ヨーロッパ諸国の刑法に採用されることで罪刑法定主義は「近代刑法の大原則」として承認されるに至った[2]。
根拠
罪刑法定主義の根拠は、以下のように自由主義・民主主義の原理にこれを求めることができる。
- どのような行為が犯罪に当たるかを国民にあらかじめ知らせることによって、それ以外の活動が自由であることを保障することが、自由主義の原理から要請される。
- 何を罪とし、その罪に対しどのような刑を科すかについては、国民の代表者で組織される国会によって定め、国民の意思を反映させることが、民主主義の原理から要請される。
派生原則
罪刑法定主義の派生原理として以下のような事項が要求される[3]。
- 慣習刑法の禁止(慣習法を直接処罰の根拠にしてはならない)
- 刑事法における類推解釈の禁止
- 法の不遡及(事後法の禁止)
- 絶対的不定期刑の禁止
- 判例の不遡及的変更の原則
- 実体的デュー・プロセスの理論[4]
- 憲法が保障する基本的人権に反する刑罰法規の無効
- 明確性の原則
- 罪刑の均衡
"Nulla poena sine lege"の派生としてたとえば以下の標語がある[5][6]。
- Nulla poena sine lege praevia
- 事前の法律なくして刑罰なし - 事後法および刑法の遡及適用の禁止
- Nulla poena sine lege scripta
- 書かれた法律(成文法)なくして刑罰なし - 慣習刑法の禁止
- Nulla poena sine lege certa
- 明確な法律なくして刑罰なし - 明確性の原則
- Nulla poena sine lege stricta
- 厳格な法律なくして刑罰なし - 拡張解釈・類推解釈の禁止
批判
従来の法律が想定していた可能性を超えた態様の事件が発生した場合に、法律規定から処罰が出来なかったり刑罰に上限が出来てしまい、悪質だが処罰が難しかったり厳罰にすることができない、という点について、これを柔軟に処罰することができない罪刑法定主義は、批判的に捉えられることもある。
これに対し、罪刑法定主義という観念を有しない伝統的な英米法の法域では、後述のとおり行為時に成文法で禁止されておらず、判例上も犯罪として認知されていなかった行為が、裁判の結果としてコモン・ロー上の犯罪として処罰されることがあり得る。その意味で、コモン・ロー上の犯罪には、「弾力性」がある[7]。
犯行発生当時に、従来の法律が想定していなかったような態様の事件としては以下のものがある。
- 電気窃盗事件「電気は、窃盗罪において窃盗の目的とされる『物(財物)』であるか」
- ニセ牛缶事件「表示と中身が似ているが異なる商品の販売」
- 天下一家の会事件「あるねずみ講構造が、何ら刑法上の違反に当たらず、処分されなかった事例」
- 国利民福の会事件「国債によるねずみ講構造」
- 新潟少女監禁事件「誘拐当時9歳の少女が、その後約9年間にわたり監禁された事件について、逮捕監禁致傷罪の最高刑が懲役10年であり、少女の被害に比して短いとの批判があり、誘拐期間中の窃盗事件との併合罪とし訴追、微罪をもって併合罪の適用を図っているとの批判の中、裁判においても二転して確定した。事件後に法改正が行われ逮捕監禁致傷罪の最高刑が懲役15年に延長された」
- ザ・ムービー事件「情報抜き取り表示がある携帯アプリをダウンロードした人物の全電話帳データを抜きとって、個人情報を悪用する行為」
- 日本航空1402便客室乗務員スカート内盗撮事件「上空を都道府県間を越えて高速で移動する旅客飛行機内で、スカート内を盗撮する行為の犯行時点の地域が不明であり、適用条例が確定されない」
- 逗子ストーカー殺人事件「元恋人に婚約解消の慰謝料を要求する電子メールを、短期間に連続で大量に送信する行為が、ストーカー規制法に違反するか」
- GPSストーカー事件「GPSを用いて好意対象者の所在位置を調べる行為についてストーカー規制法の禁じる「見張り」に該当するか」
注釈
出典
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[1][2]PDF-P.3,P.9
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[3][4]PDF-P.9,10
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[5][6]PDF-P.10,P.11
- ^ 平野龍一『刑法 総論 Ⅰ』有斐閣、1972年、179-206頁。
- ^ Boot, M. (2002). Genocide, Crimes Against Humanity, War Crimes: Nullum Crimen Sine Lege and the Subject Matter Jurisdiction of the International Criminal Court. Intersentia. p. 94. ISBN 9789050952163
- ^ これはドイツ連邦共和国基本法103条2項およびドイツ刑法1条に関するドイツ憲法裁判所の意見による。Jescheck and Weigend, Lehrbuch Des Strafrechts: Allgemeiner Teilp. 128.
- ^ a b c 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁。
- ^ 岩谷十郎『明治日本の法解釈と法律家』(慶應義塾大学法学研究会、2012年)P177・P187・203
- ^ 鵜飼信成・福島正夫・川島武宜・辻󠄀清明編『講座 日本近代法発達史11』(勁草書房、1958年)288頁、佐伯千仭「刑事法より見たる日本的伝統」(論叢第50巻5・6号)
- ^ 渋谷秀樹(2013) 『憲法(第2版)』 p196-7 有斐閣
- ^ Shaw v. Director of Public Prosecutions [1962] A.C. 220.
- ^ C. v. Mochan, 110 A.2d. 788 (Pa.Super.Ct.1955).
- ^ 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁,Loewy, Arnold H. "Criminal Law". 4th Ed., West Groop, 2003, 300.
- ^ 萩原滋「《論説》実体的デュー・プロセスの理論の一考察(一)」『国士舘法学』第22巻、国士舘大学法学会、1990年3月、179-206頁。 など
- ^ a b 山本 2003, pp. 53–57。
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[7][8]PDF-P.12
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