石井ふく子
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出演
テレビ番組
- 離婚・ぼくんちの場合(1983年 TBS 大原麗子主演)
- 橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命(最終回のみに出演)(1988年3月28日 TBS 泉ピン子主演)
- おんなの家(1993年 TBS 杉村春子主演)(東芝日曜劇場が単発ドラマとして最後を迎え、ラストシーンに登場する)
- 特別対談番組「吉永小百合 石井ふく子 34年の絆」〜山本周五郎生誕100年記念によせて〜 (2003年 TBS)
- 徹子の部屋(1977年1月10日、2021年9月9日、2023年5月8日[注釈 11]、テレビ朝日)[28]
ラジオ番組
- 生島ヒロシのおはよう一直線(2021年9月20日、21日、22日・TBSラジオ)うるおい生活講座 - ゲスト
映画
- 大江戸の鬼(1947年、新東宝) - 萩原遼[注釈 12]の友人 役[10]
- かけ出し時代(1947年、佐伯清 監督) - 新聞社の社員[注釈 13] 役[10]
- 三百六十五夜 東京篇・大阪篇(1948年、新東宝) - ダンサー 役
- 人間模様(1949年、新東宝) - 女中・八重 役
- 女医の診察室(1950年、新東宝) - 看護師 役[29][10][5]
受賞・受章歴
- 第8回放送批評家賞(ギャラクシー賞)(1971年)[30] - 東芝日曜劇場のプロデュースに対して
- 日本女性放送者懇談会賞(1981年)[31]
- 菊田一夫演劇賞・特別賞(2004年)
- 毎日芸術賞(2016年)
- 岩谷時子賞(2018年)
- 東京都名誉都民(2022年)[32]
著書
- 『幸せってなんだろう』〈ぱぴるすBooks〉、三笠書房、1974年4月10日。
- 『明日のために』鎌倉書房、1977年9月15日。
- 『花のこころ花のかお : 最長寿番組を彩った俳優』小学館、1985年11月20日。
- 『心におしゃれを : 私のドラマ作り30年』講談社、1986年7月25日。
- 『想い出かくれんぼ』集英社, 1993
- 『お蔭さまで』世界文化社, 1993
- 『ありがとうまたね…』廣済堂出版, 2012
- 『あせらず、おこらず、あきらめず』KADOKAWA, 2016
- 『家族のようなあなたへ』世界文化社, 2021
共著編
- 『東芝日曜劇場名作集』上下 編. 文陽社, 1975-76
- 『女たちの忠臣蔵 橋田寿賀子作品集』編. 大和山出版社, 1983
- 『渡る世間は… 橋田壽賀子石井ふく子対談エッセイ』TBS東京放送, 2001
注釈
- ^ 経緯は読売新聞・2015年1月29日付け朝刊に掲載されたインタビュー記事「時代の証言者」で述べている。父の死後、相続税の支払いに大金が必要となり、他局でプロデューサーを務めようとするもTBSの社長に怒られたが、大金が必要だと説明するとTBSが用立てることになった。社員に大金を貸与することは難しく、退社後にTBSの専属になり多額の契約金を受け取る経緯とした。大金を前渡しするために「退職+専属契約」とした。
- ^ 女優。後に船越英二と結婚し、船越英一郎の母となる。
- ^ 戦後の混乱期で親から小遣いをもらえない石井のために、裕見子は東映の女優として得たギャラの中から小遣いをくれた。このことは、石井にとって今(2022年)も「一生の恩」としている[5]。
- ^ 実際には当初、歌舞伎町の営業所で庶務として採用されたが、ほどなくして視察に来た本社社長が“石井が元女優”と知ったことで、銀座の本社宣伝部に配置換えとなった。
- ^ 川口松太郎原作の『人情馬鹿物語』を単発で放送した所、好評だったことからレギュラー化が決定し、当初の俳優の数では足りなくなった。
- ^ 当時の俳優たちの多くが映画会社所属だったため、石井は松竹などの配給会社に訪れた。そこで「一人でもいいのでラジオ番組に貸してください。その代わり封切りの作品をラジオで宣伝させてもらいます」と頼んだ
- ^ 社長から「君の才能はテレビで伸びるかもしれない。うちの会社とテレビの仕事掛け持ちでやってみろ」と背中を押された[5]。
- ^ 俳優たちに撮影の合図を出す役で、現場スタッフの中の一番下っ端が担当する仕事とされる。
- ^ 石井は後年、「平岩さんの小説を読んで『あんなに美しいセリフを書ける方はいない』って惚れちゃったんです。橋田(壽賀子)さんは構成がすごく上手い方なんですけど、平岩さんにはまた別の才能を感じました。それで平岩さんに『シナリオを書いてみませんか?先生なら書けると思います』と伝えました」と回想している
- ^ 当時の日曜劇場は1時間の単発ドラマ枠で、本ドラマは年に2、3回のペースで15年間に渡り放送された。(詳しくは『女と味噌汁』を参照)
- ^ 井上順と一緒に出演した。
- ^ 高峰秀子が演じた。
- ^ 原節子演じる女性記者の後輩社員。
出典
- ^ a b “Ms Wendy in This Month 注目の人 プロデューサー/石井ふく子さん”. 月刊ウェンディ(Wendy). 合人社グループ出版局 (2011年4月15日). 2021年11月4日閲覧。《→アーカイブ;→PDF版(PP.1 - 2)》
- ^ a b “石井ふく子さん、「最多舞台演出本数」で自身3つ目ギネス記録(全2頁中2頁目)”. SANSPO.COM(サンスポ). (2015年8月30日) 2015年9月6日閲覧。《→アーカイブ(P1・P2)》
- ^ 池田理代子、宮城まり子、石垣綾子ほか『わたしの少女時代』岩波書店〈岩波ジュニア新書 3〉1980年、130頁。
- ^ [1]「東京文化学園」(後の新渡戸文化学園)の2001年頃のウェブサイトより。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 週刊文春2022年3月17日号・阿川佐和子の「この人に会いたい」・石井ふく子p114-119
- ^ a b c 石井ふく子著「想い出かくれんぼ」1993年・集英社
- ^ 「石井ふく子被告脱税で有罪判決」1997年7月15日 福井新聞 朝刊
- ^ 東京地方裁判所 平成9年(特わ)633号 判決
- ^ 『官報』第2922号10-11頁 平成12年7月31日号
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “84歳の今も現役プロデューサー。『人に恵まれる日』に生んでくれた母に感謝です”. マンション生活情報「Wendy-Net」の記事 (2012年8月16日). 2021年4月24日閲覧。
- ^ a b 橋田壽賀子(1)夫の死 肺がん 病名明かさず 唯一の家族失い天涯孤独 私の履歴書 - 日本経済新聞 2019年5月1日
- ^ 池田理代子、宮城まり子、石垣綾子ほか『わたしの少女時代』岩波書店〈岩波ジュニア新書 3〉1980年、140頁。
- ^ 放送日などはWikipedia日本語版「肝っ玉かあさん」を参照。
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:000789
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:000905
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:003060
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:003061
- ^ 横浜市にある放送ライブラリーでは、第一回「結納の日」(1980年4月24日放送分)の閲覧が可能である。 放送ライブラリー 番組ID:0003984*
- ^ 第3シリーズは井上靖央がプロデューサーを担当。詳細は放送ライブラリー 番組ID:010011を参照。
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:008511
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:008536
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:011458
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:016603(最終回のみ放送ライブラリー 番組ID:016604)
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:202813(最終回のみ放送ライブラリー 番組ID:202814)
- ^ “宮崎あおい、石井ふく子さんと2年ぶりタッグ…TBS系新春ドラマ「あしたの家族」主演”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年11月1日) 2019年11月1日閲覧。
- ^ http://www.ints.co.jp/hanayome2016/
- ^ “一路真輝と西郷輝彦がいたわり合う父娘に「君はどこにいるの」演出は石井ふく子”. ステージナタリー. (2016年9月22日) 2016年9月23日閲覧。
- ^ “石井ふく子さん、テレビで初めて語る。「家族のようだった」橋田壽賀子さんとの60年”. テレ朝POST. (2021年9月8日) 2021年9月9日閲覧。
- ^ 【追悼2015】女優・原節子さん 最期まで貫いた伝説 生涯独身 隠とん生活 スポーツ報知 2015年12月30日
- ^ “第8回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月13日閲覧。
- ^ “歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
- ^ 『東京都広報』第17671号17・18頁 令和4年10月3日号
固有名詞の分類
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