渡辺暢 渡辺暢の概要

渡辺暢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/16 05:55 UTC 版)

渡辺暢

略歴

1858年(安政5年)下総佐倉藩の家老職で、代々城代を勤めた家柄に生まれる。司法省法学校に進む。後の法学者寺尾亨は法学校の同窓で親友、その妹、達子と結婚した[3]1884年明治17年)に卒業後、司法官になり、東京控訴院判事千葉仙台横浜東京の各地方裁判所長などを歴任した。

その後、朝鮮大審院の院長、日韓合併後は朝鮮高等法院の院長を勤める。高等法院長時、三・一運動の指導者らを裁く。被告達は反乱罪で起訴されたが、裁判官らはこれを騒擾罪として軽刑に処したことが八十年後の今日評価されることになる。

定年後の1924年(大正13年)1月2日、貴族院勅選議員に選任され[4][5]、死去するまで在任した[2][6]

栄典

位階
勲章等

親族

脚注・出典

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参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

関連文献

  • 李省展『アメリカ人宣教師と朝鮮の近代―ミッションスクールの生成と植民地下の葛藤』社会評論社、2006年。

関連項目


  1. ^ 『貴族院議員氏名表』貴族院彙報附録、昭和2年12月20日、27頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』180頁。
  3. ^ a b c d e f 東京天文台初代台長寺尾寿の家系図を入手 - 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室新聞 第65号(PDFファイル
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32年。
  5. ^ 『官報』第3408号、大正13年1月4日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46年。
  7. ^ 『官報』第1017号「叙任及辞令」1915年12月21日。
  8. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
  9. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  10. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  11. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  12. ^ 『官報』第2520号「叙任及辞令」1920年12月24日。
  13. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)


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