小野隆太郎
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小野 隆太郎
おの りゅうたろう
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生年月日 | 1863年(文久3年) |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 1909年(明治42年)7月21日 |
親族 | 小野隆助(養父) 渡辺暢(義弟) |
小野 隆太郎(おの りゅうたろう、1863年(文久3年) - 1909年(明治42年)7月21日[1])は、日本の法務官・政治家で、政治結社・玄洋社の社員[1]。
略歴
福岡藩士・寺尾喜平太の子として生まれ、13歳で小野隆助(前姓・三木)の養子となり、養父の希望で隆太郎に改名[2]。その後養父の改姓に伴い三木から小野姓になる[2]。弁護士,福岡市会議員,同県会議員,台湾総督府法務官などを務めたが、45歳で早世[2]。
家族
寺尾寿(天文学者)・寺尾亨(法学者)・澄川徳(医学博士)兄弟の末弟[3]。妹は政治家の渡辺暢に嫁いだ[3]。養父は玄洋社員で衆議院議員、香川県知事、太宰府天満宮神職を務めた小野隆助である[1]。
年表
- 1888年(明治21年) - 代言人免許を取得[1]。
- 1892年(明治25年) - 福岡市議に就任[1]。
- 1896年(明治29年) - 福岡県議となる[1]。
- 1901年(明治34年) - 判事に任官される[1]。
脚注・出典
参考文献
- 『玄洋社員名簿』
- 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2011年。ISBN 978-4-87415-787-9
- 浦辺登著『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年、ISBN978-4-86329-026-6
固有名詞の分類
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