水原秋桜子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 06:20 UTC 版)
家族・親族
妻しづは国文学者・吉田弥平の長女[11]。弥平の次男が山の上ホテルの創業者・吉田俊男であり[11][12]、次女が歴史哲学者の由良哲次に嫁いでいるため[11]、俊男と哲次はともに秋櫻子の義弟にあたる。またイギリス文学者の由良君美は哲次の長男であり、下河辺牧場代表の下河辺俊行は吉田俊男の娘婿であるため[12]、君美と下河辺はともに秋櫻子の義理の甥にあたる。
長男の水原春郎は聖マリアンナ医科大学名誉教授。秋桜子の没後に「馬酔木」発行人を経て1984年より主宰を務めた。2012年より、孫の徳田千鶴子(春郎の長女)が「馬酔木」主宰を継承している。
句集
- 『葛飾』(馬酔木発行所、1930年)
- 『秋櫻子句集』(素人社、1931年)
- 『新樹』(香蘭社、1933年)
- 『秋苑』(龍星閣、1935年)
- 『岩礁』(沙羅書店、1937年)
- 『蘆刈』(河出書房、1939年)
- 『古鏡』(甲鳥書林、1942年)
- 『雪蘆抄』(石原求龍堂、1942年)
- 『磐梯』(甲鳥書林、1943年)
- 『重陽』(細川書店、1948年)
- 『梅下抄』(武蔵野書店、1948年)
- 『霜林』(目黒書店、1950年)、新編・邑書林句集文庫(1996年)
- 『残鐘』(竹頭社、1952年)
- 『帰心』(琅玕洞、1954年)
- 『玄魚』(近藤書店、1957年)
- 『蓬壺』(近藤書店、1959年)
- 『旅愁』(琅玕洞、1961年)
- 『晩華』(角川書店、1964年)
- 『殉教』(求龍堂、1969年)
- 『緑雲』(東京美術、1971年)
- 『餘生』(求龍堂、1977年)
- 『蘆雁』(東京美術、1979年)
- 『水原秋櫻子全句集』(全21巻、講談社、1977-79年)
- 『うたげ 句集』(水原しづ編、東京美術、1986年)
- 『秋櫻子一句』(水原春郎編、角川書店、2007年)
- 『水原秋櫻子 自選自解句集』 (講談社、新版2007年)
- 『群青 水原秋櫻子』(徳田千鶴子編、ふらんす堂文庫、2011年)
以上の句集のほか、随筆[13]、紀行、鑑賞文などの著書が多数ある。
注釈
出典
- ^ 『水原秋櫻子集』 三橋敏雄解説、354頁。
- ^ 俳文学者の尾形仂などは「しエス」と訓んでいるが、山口青邨の弟子であった有馬朗人によれば、命名者の青邨自身は「よんエス」と発音していた。
- ^ 『水原秋櫻子集』 三橋敏雄解説、357-358頁。
- ^ 『朝日新聞』1964年4月11日(東京本社発行)朝刊、1頁。
- ^ 前掲『昭和大学五十年史』
- ^ 『俳句のモダン』 27-28頁。
- ^ 山本健吉「秋櫻子氏の偉業」『水原秋櫻子集』 11頁。
- ^ 『図説 俳句』 140頁。
- ^ 『水原秋櫻子集』 三橋敏雄解説、359-360頁。
- ^ a b 『現代俳句ハンドブック』90頁。
- ^ a b c 『大正人名辞典 II』、ヨ 32頁。
- ^ a b 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版。
- ^ 『喜雨亭談』1969年、『芝居の窓』(各・東京美術)ほか
- 1 水原秋桜子とは
- 2 水原秋桜子の概要
- 3 家族・親族
- 4 参考文献
水原秋桜子と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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