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吉田弥平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 03:05 UTC 版)

吉田 弥平
1932年
人物情報
生誕 (1869-02-13) 1869年2月13日
日本 茨城県牛久市
死没 1937年11月23日(1937-11-23)(68歳没)
出身校 東京高等師範学校
学問
研究分野 教育学国語学
研究機関 東京高等師範学校
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吉田弥平

吉田 弥平(彌平)(よしだ やへい、明治2年1月3日1869年2月13日) - 昭和12年(1937年11月23日)は、日本国文学者教育者。号は「太古」。

経歴

出生から修学期

1869年、常陸国河内郡柏田村(現在の茨城県牛久市)で町田清七の長男として生まれた。その後、吉田賢輔・たきの養子となった[1][2]1885年茨城県師範学校小学中等師範学科を卒業し、翌1886年に同小学高等師範学科を卒業した。小学校訓導を務めた後、東京高等師範学校文学科で学び、1894年に卒業。

国語科教員として

高等師範学校卒業後は、兵庫県尋常師範学校教諭・訓導を務めた。その後、母校の東京高等師範学校助教諭・訓導を任命された。後に同教諭、同教授に昇格。在任中は後進の指導に当たる一方で、多くの国語教科書編纂にあたった。1932年に退官した後は、藤田幽谷全集の刊行に取り組んだ[3]。1937年に死去。

家族・親族

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
  2. ^ 『代表的人物及事業』時事通信社、1913年、学術界59p。
  3. ^ NCID BN05776244
  4. ^ p.24 - 中森康之・山川歩夢「ヴォーリズ建築:山の上ホテル(2) - 作家の証言が意味するもの」『雲雀野:豊橋技術科学大学人文科学系紀要』第42号、2020年3月31日、17-31頁、 NCID AN00208381 

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