樋笠一夫 人物

樋笠一夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 08:04 UTC 版)

人物

  • 伝統的な服装を好み、ユニフォームズボンの下は一丁で、代打逆転サヨナラ満塁本塁打を打った際も、褌を着用していた[16]。また、丹前を着込んで、30㎝もあるキセル紙巻きたばこを差して、悠々と多摩川土手を散歩していた[17][18]
  • 何事も積極的であれば道は開かれる」を身上とした。1954年のアメリカ遠征で、チームメイトたちは英語を話せる与那嶺要を道案内に集団でストリップ小屋に繰り出したところ、樋笠は英語も話せず地理も不案内な中を一人で乗り込んで齧り付きで鑑賞しており、チームメイトはみなその行動力に驚いた[18]
  • 1951年頃、住宅事情が悪く妻帯者も巨人の合宿所に居住しており、樋笠の隣の部屋に楠協郎が住んでいた。楠は男前だったため夫人がヤキモチを焼いて、楠の帰宅が30分も遅れようものなら、必ず騒ぎが持ち上がっていた。壁一枚しか隔てていない樋笠の部屋にその騒ぎは筒抜けだったため、騒ぎを聞きつけるたびに、樋笠は楠の部屋に現れ「あんたらは夫婦をなんだと思っているんだ。亭主の帰りが30分遅いからといって、泣きわめく女房がどこにいる」などと、夫婦に説教をしていた[19]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1950 広島 133 551 494 61 108 17 5 21 198 72 10 8 1 -- 54 -- 2 52 19 .219 .298 .401 .699
1951 巨人 31 55 46 12 17 3 0 3 29 8 1 4 1 -- 8 -- 0 6 0 .370 .463 .630 1.093
1952 47 79 69 9 16 3 1 3 30 13 3 0 1 -- 9 -- 0 13 2 .232 .321 .435 .756
1953 96 311 270 45 69 12 0 12 117 42 5 5 0 -- 41 -- 0 39 5 .256 .354 .433 .787
1954 92 296 254 33 54 7 0 11 94 32 4 2 1 2 38 -- 1 44 10 .213 .315 .370 .685
1955 69 184 169 13 38 5 2 2 53 20 2 1 2 1 12 0 0 25 9 .225 .275 .314 .589
1956 61 53 49 8 9 0 0 2 15 7 0 1 0 0 4 0 0 14 1 .184 .245 .306 .551
1957 19 28 25 0 4 1 0 0 5 0 0 2 1 0 2 0 0 6 1 .160 .222 .200 .422
通算:8年 548 1557 1376 181 315 48 8 54 541 194 25 23 7 3 168 0 3 199 47 .229 .314 .393 .707

記録

背番号

  • 10 (1950年)
  • 24 (1951年 - 1957年)
  • 40 (1960年 - 1961年)

参考文献


  1. ^ 人名録、書籍によっては「陸軍士官学校卒業」としているものもある
  2. ^ 『巨人軍の男たち』149頁
  3. ^ a b c d e f g h 広島カープ連載・鯉人=57= 樋笠一夫氏の巻「29歳、ルーキーで21発 高校野球監督から広島入り」
  4. ^ a b 『背番号の消えた人生』298頁
  5. ^ 『プロ野球記録大鑑』675頁
  6. ^ 『背番号の消えた人生』298頁
  7. ^ 『背番号への愛着』174頁
  8. ^ a b c 『プロ野球記録大鑑』475頁
  9. ^ 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年度セントラルリーグ記録集 代打成績
  10. ^ 【3月25日】1956年(昭31) 樋笠一夫 史上初の代打逆転サヨナラ満塁弾 - スポニチ
  11. ^ “3月25日はドラマチックデー!一体なにがドラマチックだったの?なにが由来なの?知名度を徹底調査!!”. PR TIMES. (2020年3月25日). https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000056.000005150.html 2021年4月12日閲覧。 
  12. ^ 『1997 ベースボール・レコードブック』848頁
  13. ^ 『報知グラフ 別冊 巨人軍栄光の40年』報知新聞社、1974年
  14. ^ 『背番号の消えた人生』301頁
  15. ^ a b c 『背番号の消えた人生』302頁
  16. ^ 『巨人軍の男たち』148頁。なお、同著では著者がプロ野球選手となった戦前の1938年であっても褌を着用している選手はいなかったとしている。
  17. ^ 『背番号の消えた人生』292頁
  18. ^ a b 『巨人軍の男たち』148頁
  19. ^ 『背番号の消えた人生』292頁


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