楫取素彦 来歴

楫取素彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 14:34 UTC 版)

来歴

文政12年3月15日(1829年4月18日)、長門国萩魚棚沖町(現・山口県萩市)に藩医・松島瑞蟠の次男として生まれる。兄に松島剛蔵、弟に小倉健作(松田謙三)がいる。小田村家の養子となるのは天保11年(1840年)で、同家は代々儒官であった。弘化元年(1844年明倫館に入り、同4年(1847年)19歳で司典助役兼助講となる。22歳大番役として江戸藩邸に勤め、安積艮斎佐藤一斎に教えを受ける。

安政2年(1855年)4月、明倫館舎長書記兼講師見習となる。翌3年(1856年)2月相模出衛を命ぜられ、同4年(1857年)4月帰国、明倫館都講役兼助講となる。この頃から松陰の教育事業は盛んになり、翌5年(1858年)11月の松下村塾閉鎖まで、初めはその計画に参与し、また時々訪問し間接の援助を与え、塾生とも相知ることとなる。松陰の激論を受け止め、相敬愛するところは、2人の交わりの特色である。松陰の投獄後には塾生指導の任に当たるも、国事に忙しくなり塾の世話ができなくなったが、明治以後に杉民治と共に一門の中心となって、松陰の顕彰に尽力した。

万延元年(1860年)山口講習堂及び三田尻越氏塾で教え、文久元年(1861年)以後はもっぱら藩主に従って江戸・京都・防長の間を東奔西走する。元治元年(1864年)12月、藩の恭順派のために野山獄に投ぜられ、翌慶応元年(1865年)出獄する。5月には藩命により、当時太宰府滞在中の五卿(七卿落ちの7人から錦小路頼徳澤宣嘉を除いた5人)を訪ねる。四境戦争の時は、広島へ出張の幕軍総督への正使宍戸璣(山縣半蔵)の副使となる。慶応3年(1867年)冬、長州藩兵上京の命を受け、諸隊参謀として出征する。公卿諸藩の間を周旋し、鳥羽・伏見の戦いにおいて、江戸幕府の死命を制するに至った。

維新後、いったん帰国して長州藩に出仕していたが職を辞し、一時期三隅(現在の長門市西部)に住んでいた。明治5年(1872年)に足柄県参事となり、明治7年(1874年)に熊谷県権令、明治9年(1876年)の熊谷県改変に伴って新設された群馬県県令となった。楫取の在任中に群馬県庁移転問題で前橋が正式な県庁所在地と決定し、楫取は高崎の住民から反感を買っている。また「明治の三老農」の一人船津伝次平駒場農学校へ奉職するよう勧めている。

明治17年(1884年)、元老院議官に転任する。その後、高等法院陪席裁判官・貴族院議員・宮中顧問官などを歴任し、また貞宮多喜子内親王御養育主任を命ぜられたこともあった。明治20年(1887年男爵を授けられる。明治23年(1890年)7月10日、貴族院男爵議員に就任し、1911年(明治44年)7月9日まで3期在任[3]。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる[4]。大正元年(1912年)8月14日、山口県の三田尻(現・防府市)で死去。84歳歿。没後に正二位に追叙され、勲一等瑞宝章を追贈された[5]。墓所は防府市大楽寺青山霊園(1イ1-29)

台湾で横死した次男・道明の遺児である三郎が男爵位を継いだ。


  1. ^ a b 『防長人物百年史』182-183頁。
  2. ^ 楫取以外にも藩命により、桂小五郎が木戸孝允に、村田蔵六が大村益次郎に改名している。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』68頁。
  4. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  5. ^ 官報第15号 大正元年8月16日付274頁 「叙任及辞令」 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 宮中顧問官従二位勲二等男爵楫取素彦」 アジア歴史資料センター Ref.A10112747100 
  7. ^ 『太政官日誌』明治9年1月-6月
  8. ^ 『官報』第16号「叙任」1883年7月19日。
  9. ^ 『官報』第354号「叙任及辞令」1884年9月1日。
  10. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  11. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
  12. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  13. ^ a b 『官報』第15号「叙任及辞令」1912年8月16日。
  14. ^ 『官報』第527号「賞勲叙任」1885年4月8日。
  15. ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
  16. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  17. ^ 『官報』第5395号「叙任及辞令」1901年6月28日。
  18. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。






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