柳生利厳 著作

柳生利厳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/08 20:38 UTC 版)

著作

『始終不捨書』(著作年月日不詳[24]
太平の世に対応すべく自身が打ち立てた「今」の教えについて記した利厳一代の工夫の書[25]。石舟斎の教えの内、従来のやり方では時代にそぐわなくなった部分について「昔の教悪」として弊害を記し、代わって自身が工夫した新しい方法を「今の教」として全68項目にまとめて列挙している。
その内容は多岐に渡り、中でも重心を低く構える「沈なる身」を否定し、重心を高く自然体に構える「直立の身」を推奨したことは、甲冑を着けて斬りあう「介者剣術」から普段着で使う「素肌剣術」への転換として評価されている。ただし利厳以前の新陰流でどの程度「沈なる身」が厳守されていたのかや[注 11]、この重心の変化が甲冑の有無を意識したものなのかについては異論もある[注 12]
徳川義直に印可を認めた際に授与され、以後流派の後継者に代々継承された。

柳生利厳の登場する作品

小説

漫画

映画

テレビドラマ

脚注


注釈

  1. ^ 兄・久三郎は浅野幸長の下で慶長の役で朝鮮に渡り当地で戦死する。叔父・宗章は小早川氏に、宗矩は徳川氏にそれぞれ仕えている。ただし柳生家の失領の時期ははっきりせず、宗矩等の仕官との前後関係は必ずしも明らかではない[3]
  2. ^ 石舟斎と親交があった島清興の紹介と伝わる。[4]
  3. ^ 尾張藩の記録をまとめた名古屋市史による。人物編・利厳の項は『士林泝洄』、『昔咄』、『諸士傳略稿』、『武業雑話』、柳生氏聞書を元に編纂[1]。一方で利厳の子孫で昭和期の尾張柳生当主である柳生厳長は、自著の中で自家に伝わる口伝として500石は表向きで内実は3000石をもって客分大将として遇されていたとする話を紹介している[5]
  4. ^ 『名古屋市史』所載『尾州諸系家系図集』では争いの理由についてよんどころない子細とだけある。[1]
  5. ^ 幕府の公的な記録である『徳川実紀』『寛政重修諸家譜』では石舟斎の跡は叔父・宗矩が継いだとする[11]。柳生厳長は『正伝新陰流』で先祖代々に伝わる口伝として、家督は累代の本領2000石と共に利厳の父・厳勝が相続し、利厳には父から旧領の神戸の庄を中心に500石余が譲られたため、その収入を元にして、その後も供を引き連れて裕福に諸国巡遊の旅を続けることが出来たとする[12]。また尾張藩の史料を元に編纂された『名古屋市史』では厳勝の死後、その所領を宗矩が独占したために厳勝の子・利厳が艱難したとあり[1]石舟斎死後の厳勝がいくらかの所領を有していたともとれる記述になっている。一方で石舟斎生前の史料としては死の7年前時点の慶長4年(1599年)に石舟斎か妻に宛てた書簡の中で、自分の死後財産は宗矩に与えるよう指示しており、この時点では宗矩を家督継承者と定めている様子もある[13]
  6. ^ 隼人正とは利厳の禅師・海山珠和尚との道縁により、若年時からの知己であったという[15]
  7. ^ この印可については、義直の修行期間がおよそ5年と皆伝に至るまでの期間としてはごく短期間であることから、形式上のものではないかという意見もある。
  8. ^ 長男である清厳は寛永15年の島原の乱において戦死している。
  9. ^ 徳川2代将軍徳川秀忠の指南役を務めた一刀流の剣術家小野忠明の甥にあたる。
  10. ^ 『玉栄拾遺』、『柳生藩旧記』など
  11. ^ 戦闘中の姿勢について記した「位五大事」について、利厳の祖父・石舟斎と叔父・宗矩の伝書の内容を比較すると、宗矩の伝書には石舟斎のものにはあった「身を沈にして」など、重心を低く保つよう指示する箇所が削除されており、利厳にさきがけて宗矩に代表される江戸柳生でも「沈なる身」からの脱却があったとする意見もある[26]
  12. ^ 利厳自身は沈なる身を推奨する「位五大事」を否定した理由として「身堅マリツマル故也(身を堅く強ばらせる)」として、介者剣術との関わりでは否定しておらず、また「沈なる身」をそのまま伝えたとされる江戸柳生系の伝書でも、この教えの実戦的な利点として必ずしも介者剣術のみを想定したものを挙げていない[27]

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