柳生利方
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柳生 利方(やぎゅう としかた、元和6年(1620年)‐貞享4年8月22日(1687年9月28日))は、江戸時代前期の武士、剣術家、尾張藩士。柳生利厳の次男。通称、茂左衛門。如流斎と号する。
- ^ 『名古屋市史』では3兄弟の中で厳包のみ「庶子」という記述がある
- ^ 清厳が残した遺書の中に「茂左(利方)、新六(厳包)は母をよろしく頼む」とする一文があるほか、利方も晩年に厳包の母方の姓である島を名乗っているため、3人とも同じ母から産まれたとする見方もある。
- ^ 相川、伊藤2004。p.201
- ^ 「正伝新陰流」
- ^ a b 今村嘉雄1994。p.267-278
- ^ 『昔咄』
- ^ 『徳川実紀』には、「(家光が)柳生伊代(利厳)子供の兵法上覧成され度候旨、仰せ出され候間、当地差越候様に相達せらるべく候」と、兄弟の兵法を上覧することは家光直々の望みであることが記されている。
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『昔咄』。p.376-384
- ^ 厳包は「もし性交した翌日に自分と互角の者と立ち会うことになれば自分は敗れることになり、主君の恥になる。」といい、生涯妻をめとることはなかった。
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