東洋大学京北中学高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 20:49 UTC 版)
概要
東洋大学(哲学館)を開校した井上円了によって1898年(明治31年)に開校した。明治時代には旧制第一高等学校への進学者数が時に府立一中や府立四中などに肉薄し、開成中や京華中などを上回る私立の中堅進学校として知られていた。
戦後の1951年(昭和26年)、東洋大学から分離。2011年(平成23年)、学校法人東洋大学と再統合し、同法人の設置校となった[1]。
開校以来100年以上に渡って男子校であったが、2015年(平成27年)に新校舎に移転すると同時に男女共学に移行した。
沿革
- 1898年 - 京北尋常中学校設立許可、京北学園創立。東洋大学を開校した井上円了が校長に就任(1906年まで)。
- 1899年 - 京北中学校として開校。開校式挙行。
- 1935年 - 京実文庫・三島文庫開設により図書館設置。
- 1945年3月10日 - 東京大空襲により校舎焼失。
- 1947年4月1日 - 学制改革により新制中学校へ移行。東京都の委託を受けて一時京実中学校を設置。
- 1948年4月1日 - 新制高校へ移行、京北高等学校開校。
- 1951年 - 東洋大学から分離独立、学校法人京北学園となる。
- 1984年 - ブレザー式制服に改定。
- 1986年 - 高校に井上円了賞を設置。
- 2011年 - 京北学園が学校法人東洋大学に再統合され、同法人の設置校となる。東洋大学赤羽台キャンパス(旧北区立赤羽台中学校)へ仮移転。
- 2015年 - 白山(東洋大学白山第2キャンパス)へ再移転[2]。学校名を「東洋大学京北中学・高等学校」に変更し、共学化。
年間行事
部活動
2015年度の新校舎移転に伴い伝統的な部活の廃部や、国際化に向けた新部の創設などが多く行われた(水泳部や弦楽、囲碁将棋の廃部、吹奏楽や茶道部の新設など)。
運動部
男子バスケットボール部、女子バスケットボール部、剣道部、卓球部、サッカー部、競走部、バドミントン部、軟式野球部、バレーボール部(男子は高校のみ)、フットサル部(高校のみ)、ダンス部(高校のみ)、トレーニング部
京北中学校・高等学校時代は東京のバスケットボールの名門校として知られていた。高校男子バスケットボール部が1973年・2013年のインターハイ、1978年・1984年の選抜大会で優勝を果たしている。中学男子バスケットボール部は全国中学校バスケットボール大会にて1999年 、2009年に優勝し、2007年 、2008年に準優勝している。
文化部
家庭科部、音楽部(吹奏楽、合唱)、美術部、演劇部、英語部、理科部、華道部、茶道部、文芸報道部、園芸部、かるた同好会
- ^ 学校法人東洋大学と法人合併しました - 京北中学校・高等学校(2011年4月1日)
- ^ 校長室より「京北に夢をかけて」第1号(校長就任挨拶) - 京北中学校・高等学校、京北学園白山高等学校校長、石坂康倫著作(2012年4月26日)
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