東京大学運動会硬式野球部
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その他
- 1946年の2位躍進を契機に東京大学運動会応援部が発足したことから、同部との関係は深い。現在、野球部と応援部が合同で雑誌「ただひとつ」を年1回定期発行している。
- 1969年には東大紛争により入試が中止されたため、1年生ゼロという事態となった。このことから翌1970年春季リーグ戦では、連盟理事会の決議により留年生の試合出場が認められる特例措置が取られた。さらに、1972年度には4年生がゼロだったことから、3年生の選手が主将を務めた。
- 2007年10月21日の対立教2回戦では生まれつき左手と足に障害を持つ加藤善之投手がリーグ戦初登板を果たした。同投手は栄光学園高校2年次の2003年、全国高等学校軟式野球選手権大会出場を果たしている。
- 2010年11月から谷沢健一を、2013年1月からは桑田真澄を特別コーチとして招聘した。「最高の頭脳を持つ選手達に“考える野球”が出来ない訳がない」とは桑田の弁。桑田は週に1度のペースで主に投手陣を指導し、2014年12月末まで務めた[19]。
- 2013年に就任した浜田一志監督は学習塾を経営しており、OB会在任中から野球部強化のために高校球児への練習会や勉強会の実施、各高校野球部への訪問などを通して東大受験を促している。
- 与謝野馨、神津里季生は在学中、硬式野球部でマネージャーを務めていた。
- 1974年(昭和49年)2月23日、東大硬式野球部公認の唯一のファンクラブ「東大を優勝させよう会」を菅野弘夫など13名の有志が設立総会を開き規約などを決めて発足させた。東大関係者のみならず、東京六大学野球リーグ戦における東大野球部の優勝を希求し、応援する個人、法人、誰でも、いつでも会員になることが出来る。会報「淡青ファン」を年2回発行(最新号2019年4月3日号)、東大野球部新入部員歓迎会、激励会などの開催を行っている。2019年4月現在の会員数、約140名。
- 大学時代にエースとして活躍し、NHKに入局した大越健介は自らの希望でメインキャスターとなったサンデースポーツで東大野球部や東京六大学野球の話題を度々、取り上げていた。
- 1951年から春秋のリーグ戦後に東京六大学野球新人戦(1、2年生のみが参加できるが東大は全学年参加可能)が行われてきたが、こちらも東大の優勝は未だ無い。
- 東大野球部は東京六大学野球の活動が注目されがちだが、その他の大会として毎年京都大学との対抗戦双青戦、七大戦(七帝戦)、東京地区国公立大学体育大会にも参加している。
注釈
- ^ 当初の目的だった京大との定期戦は、1928年から東北・九州両帝国大学を加えた四帝大連盟戦に発展し1939年までほぼ毎年行われたが、その間に東大が四帝大戦で優勝を逃したのは1934年の1回だけである。
- ^ 東大監督の芦田公平と明大野球部長の内海弘蔵は同じ国文学者同士で親交があった。また、一高の精神野球を高く評価していた早大監督の飛田穂洲は、一高野球を継承する東大のリーグ参加が日本の野球界にとってプラスになると考えていた[3]。
- ^ 同時期に中央大もリーグ参加を打診されたが断ったとする文献も存在する[4]。ただし、中央大学硬式野球部が正式に誕生したのは1930年4月であり[5]、六大学リーグ結成時に公認野球部のなかった中央大学が実際に誘われた経緯については疑問が残る。
- ^ 1932年春季に3位となっているが、早大がリーグを脱退(秋季から復帰)、さらに明大が渡米遠征で欠場していた。
- ^ 日本最古の野球対抗戦は、1882年(明治15年)に行われた新橋アスレチック倶楽部対駒場農学校の試合とされている(日本初の野球チーム 新橋アスレチック倶楽部 1878年 日本記録認定協会)。
出典
- ^ 飛田穂洲 『早稲田大学野球部史』 479頁
- ^ 『明治大学百年史』 第二巻 資料編Ⅱ、1988年、155-156頁
- ^ 『東京大学野球部 Since1919 「赤門軍団」の軌跡』 ベースボール・マガジン社、2014年、20頁
- ^ 橘木俊詔、齋藤隆志 『スポーツの世界は学歴社会』(PHP新書、2012年) 78頁[循環参照]
- ^ 『中央大学百年史』 年表・索引編、2004年、166頁
- ^ 『栄光なき天才たち』第3巻 東大野球部 千葉大学HP、
『栄光なき天才たち』第3巻 東大野球部 解説 千葉大学HP - ^ 東大71連敗 リーグワースト記録更新 早大に完敗 スポーツニッポン(2014年5月9日配信)
- ^ 東大 34季連続最下位、連敗記録は86に 4年生は白星なしで神宮を去る スポーツニッポン(2014年10月26日配信)
- ^ 東大94連敗でストップ!10回6-4で法大下す 日刊スポーツ(2015年5月23日19時1分)2022年2月9日閲覧。
- ^ 東大、15年ぶりの勝ち点1! 連勝での獲得は20年ぶり スポーツニッポン(2017年10月8日配信)
- ^ 『激動の昭和スポーツ史 6 大学野球』 ベースボール・マガジン社、1989年、70-73頁
- ^ 東京大学野球場(東大球場)|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト
- ^ 東大のユニホーム 異彩を放つ柔軟性と進取の精神 日刊スポーツ(2019年7月31日11時3分)2022年間2月9日閲覧。
- ^ 100周年の東大野球部が新ユニホームを発表、製作は“あの”会社 ZAKZAK(2019年3月5日)2022年2月9日閲覧。
- ^ その他参照先として、サンデー毎日(1991年5月5日・12日号)p.p.188-189。
- ^ 「小林至のヨノナカ考」東大野球部元監督の河野敏章さんのご急逝に接して 小林至オフィシャルブログ、アメーバブログ(2020年7月30日)2022年2月9日閲覧。
- ^ “「東大卒が行く場所じゃない」 NPBを追い求めた先に”. 朝日新聞. (2020年4月21日) 2021年8月29日閲覧。
- ^ 100周年連載企画〜東大野球部の今昔〜【第12回】井坂 肇 2014(平成26年)年卒 投手 日比谷高 - 東京大学野球部
- ^ 桑田氏東大コーチ退任へ「更新」意思なし 日刊スポーツ(2014年11月6日8時10分)2022年2月9日閲覧。
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