村上真一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 11:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動村上 真一 八段 | |
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![]() 1939年ごろ。左後ろは高島一岐代 | |
名前 | 村上 真一 |
生年月日 | 1897年6月16日 |
没年月日 | 1956年7月2日(59歳没) |
プロ入り年月日 | 1923年[注 1] |
出身地 | 広島県呉市[注 2] |
所属 |
棋正会 →日本将棋連盟(関西) →将棋大成会(関西) →日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 木見金治郎九段 |
弟子 | 南口繁一、木下晃 |
段位 | 八段 |
順位戦最高クラス | A級(2期) |
2022年2月21日現在 |
経歴・人物
1923年、四段昇段。若手時代、関根金次郎十三世名人と対局する機会を得るも敗れた。
1942年、名人挑戦者を賭けた五〜七段戦を勝ち抜き、名人戦予選に参加。
戦後も1946年、順位戦A級に参加するが、翌年は全敗で降級。当時は現在と比べると引退時期が総じて早かったものの長く現役であり続け、1952年以降は現役最高齢棋士となった。
1955年6月30日、第2回早指し王位決定戦2回戦において当時15歳(村上より43歳年下)の新鋭加藤一二三と対局し敗れた。加藤が公式戦で対局した最年長の棋士。なお加藤は当時南口繁一門下(1998年に劔持松二門下に変更)で、南口は村上門下であったため、“孫弟子からの恩返し”を受ける形となった。
1956年、順位戦B級2組在籍のまま逝去。
弟子は上述の南口の他に、木下晃もいる。
昇段履歴
- 1922年 入門
- 1923年 四段
- 1943年 八段
- 1956年7月2日 逝去
主な成績
- 順位戦A級 通算2期
脚注
関連項目
注釈
出典
- 1 村上真一とは
- 2 村上真一の概要
村上眞一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 06:15 UTC 版)
村上 眞一(むらかみ しんいち、1963年7月13日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)・コーチ。1993年までの登録名は「村上 信一」(読み同じ)。
- ^ 【8月16日】1984年(昭59) 夢打ち砕いた 村上信一 史上初の代打2打席連続本塁打 - スポニチ、2011年8月16日。
- ^ “元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。
- ^ “元オリックスブルーウェーブ 村上眞一 野球・守備のバイブル”. baseballpower - 楽天ブログ (2012年6月13日). 2020年4月17日閲覧。
- ^ “打撃の職人 元オリックスブルーウエーブ村上眞一 バッティング上達への道”. baseballpower - 楽天ブログ (2012年6月13日). 2020年4月17日閲覧。
固有名詞の分類
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