懐良親王
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和歌
懐良親王の和歌は、2首しか現在しない[13]。宗良親王『李花集』最末尾の部分で、
建徳二年九月二十日、鎮西より便宜に、中務卿親王〔懐良 九州宮〕
日にそへて のかれんとのみ 思ふ身に いとゝうき世の ことしけきかな
しるやいかに よを秋風の 吹からに 露もとまらぬ わかこゝろかな
とあるのが全てである[13]。一つ目は准勅撰和歌集『新葉和歌集』に入集している[9]。
系譜
確実なのは以下の2名である。
応永33年(1426年)に完成した『本朝皇胤紹運録』およびそれ以降の系図・寺伝では法仁入道親王が同母兄であると伝えられている。
江戸時代に編纂された『諸家系図纂』では、以下の子女も記載されている。
関連作品
- 北方謙三『武王の門』新潮社(小説) - 主人公
脚注
参考文献
- 森茂暁『懐良親王:日にそへてのかれんとのみ思ふ身に』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2019年。ISBN 978-4623087419。
- 佐久間重男「明初の日中関係をめぐる二,三の問題 : 洪武帝の対外政策を中心として」『北海道大学人文科学論集』第4巻、北海道大学教養部人文科学論集編集委員会、1965年2月、1-46頁、CRID 1050282813973151616、hdl:2115/34281、ISSN 03856038。
- 栗林宣夫「日本国王良懐の遣使について」『文教大学教育学部紀要』第13巻、文教大学、1979年12月、1-13頁、CRID 1050001201683313920、ISSN 0388-2144、NAID 110000330254。
関連文献
- 藤田明 著、熊本県教育会 編『征西将軍宮』東京宝文館、1915年。doi:10.11501/950877。NDLJP:950877 。
注釈
- ^ 鎌倉時代・南北朝時代の研究が進む以前は「かねながしんのう」と呼ばれることも多かった。詳しくは、後醍醐天皇の皇子の名の読みを参照。
- ^ 時期については諸説あり。
出典
- ^ 栗林 1979, pp. 2–3.
- ^ 栗林 1979, p. 5.
- ^ 佐久間 1965, pp. 20–22.
- ^ 栗林 1979, p. 11.
- ^ “懐良親王御墓(八代市HP)”. 2015年1月12日閲覧。
- ^ 『明太祖実録』巻138, 洪武十四年七月戊戌条
- ^ 『明史』巻322, 日本伝
- ^ 『殊域周咨錄』第2巻東夷, 日本國
- ^ a b c d e 森 2019, pp. 293–294.
- ^ a b 森 2019, pp. 119–122.
- ^ a b 森 2019, pp. 306–309.
- ^ a b c d e 森 2019, pp. 270–272.
- ^ a b 森 2019, pp. 295–298.
- ^ a b 「後醍院系図」『諸家系図纂』所収
固有名詞の分類
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