懐節蕭皇后とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > 遼の皇后 > 懐節蕭皇后の意味・解説 

懐節蕭皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 01:45 UTC 版)

懐節蕭皇后
(契丹)の皇后
在位 950年 - 951年

別称 孝烈皇后
死去 951年
配偶者 世宗
子女 景宗
父親 蕭阿古只
テンプレートを表示

懐節蕭皇后(かいせつしょうこうごう、? - 951年)は、(契丹)の世宗皇后。小字は撒葛只。

経歴

述律皇后(世宗の祖母)の弟の蕭阿古只の娘として生まれた。世宗が永康王となると、妃として迎えられ、景宗を生んだ。天禄4年(950年)、皇后に立てられた。天禄5年(951年)秋、萌古公主を生んだ。産褥にあって、耶律察割が乱を起こし、皇太后(柔貞蕭皇后)、世宗と甄皇后を殺害した。蕭皇后は歩輦に乗って、耶律察割のもとを訪れ、遺体を収容してを行なうよう願い出た。翌日、蕭皇后も殺害された。孝烈皇后とされた。重熙21年(1052年)、懐節皇后と改諡された。

伝記資料





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「懐節蕭皇后」の関連用語

懐節蕭皇后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



懐節蕭皇后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの懐節蕭皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS