靖安蕭皇后とは? わかりやすく解説

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靖安蕭皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 03:23 UTC 版)

靖安蕭皇后
(契丹)の皇后
在位 天顕元年12月3日 - 天顕10年1月13日
927年12月29日 - 935年2月18日

別称 彰徳皇后
出生 不詳
死去 天顕10年1月13日[1]
935年2月18日
埋葬 奉陵
配偶者 太宗
子女 穆宗
父親 蕭室魯
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靖安蕭皇后(せいあんしょうこうごう)は、(契丹)の太宗耶律堯骨皇后。小字は温。

経歴

述律皇后(太宗の生母)の同母異父兄の蕭室魯の娘として生まれた。つまり太宗の従姉妹にあたる。耶律堯骨が大元帥となると、妃として迎えられ、穆宗を生んだ。太宗が即位すると皇后に立てられた。性格は聡明で身ぎれいであり、太宗に最も寵愛されて、軍旅や狩猟にも必ず行をともにした。天顕10年正月戊申(935年2月18日)、崩御。彰徳とされ、奉陵に葬られた。

重熙21年(1052年)、靖安皇后と改諡された。

伝記資料

脚注

  1. ^ 『遼史』巻3, 太宗紀 天顕十年正月戊申条による。



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