愛と海の詩
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作曲は1882年から、約10年の歳月を費やしている。初演はまずピアノ伴奏版にて1893年 2月21日にテノールのデジレ・デメスト(Désiré Demest)とショーソン自身のピアノ伴奏によってブリュッセルにおいて行われた。管弦楽版の初演は1893年 4月8日にパリにて、ソプラノのエレオノール・ブラン(Éléonore Blanc)の歌唱、 ガブリエル・マリ (Gabriel-Marie)の指揮、国民音楽協会(Société nationale de musique)によってなされた。曲はアンリ・デュパルクに献呈されている[1]。この曲は初演時から聴衆を熱狂させた[2]という。『愛と海の詩』はショーソンの特質であるペシミズム、ノスタルジー、控え目な憧憬、慎ましやかな諦観といった要素がショーソンの洗練された美しい管弦楽に支えられている。ピアノ伴奏でもその感情は伝わるが、管弦楽伴奏によりその美しさが一層際立って表現され聴く者の心に深い余韻を残す。ショーソンは他にもブショールの詩を基に作曲しており、代表的なものに「4つの歌曲」(作品8)、付随音楽『嵐』(作品18)、付随音楽『聖セシリアの伝説』(作品22)、『シェイクスピアの歌』(作品28)などがある。ショーソンのもう一つの重要な歌曲に象徴派のシャルル・クロスの詩による『終わりなき歌 』(果てしなき歌)がある。本作は『詩曲 』、『交響曲 変ロ長調 』や『ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲ニ長調』と共にショーソンの代表作のひとつと考えられる。なお、第3曲「愛の死」の終結部にあたる『リラの花咲く季節』は、単独でピアノ伴奏の歌曲としても演奏される。
楽曲
構成は第1曲「水の花」と第3曲「愛の死」が短い管弦楽のみの間奏曲によって繋がれている。音楽的には「愛」、「海」、「別れ」、「追憶」、「死」といった概念がそれぞれ特徴ある示導動機として描き分けられ、このうち「愛」を表すものが全体を貫いて流れている[3]。ショーソンの研究家ジャン・ガロワは「見事な作品であり、官能的ですらある。音楽がテキストの俗悪さを忘れさせるほどの魔力にまで達しており、稀な格調を持っている」[4]。さらに「管弦楽法も驚くべき点があり、ある部分は不思議とドビュッシーの『海』を予告しており、また別の部分はショーソンの『詩曲』の先駆けとなっている」[5]と分析している。『ラルース世界音楽事典』は「ショーソンがブショールの詩を気に入ったのは、必ずしもその詩が文学的に優れていたからではなく、憂鬱と物憂げな悲しさ、満たされない愛といった要素からなる単彩的な色調が彼の望郷的気質に即していたからであり、またその時代の象徴派文学の雰囲気を良く伝えていたからである」さらに「この『愛と海の詩』は独唱とオーケストラのための数多い作品の中でも傑作のひとつであり、ドビュッシー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスの先駆けをなすものである」[6]と解説している。
関連作品
ベルリオーズの『夏の夜』(1840年 - 1841年)、ラヴェル の『シェエラザード』(1904年)、デュパルクの幾つかのオーケストラ伴奏化が施された歌曲、歌詞は民謡ながらジョゼフ・カントルーブによってオーケストレーションが施された『オーヴェルニュの歌』(1923年 - 1930年)などと共にフランスの独唱と管弦楽による楽曲の代表的作品のひとつに数えられる。また、マーラーの『リュッケルト歌曲集』(1902年)、『亡き子をしのぶ歌』(1904年)などやリヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』(1948年)といった作品もこの分野の代表作である。
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