康居 政治体制

康居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 18:13 UTC 版)

政治体制

康居では他の遊牧国家同様、支配民族である遊牧民が被支配民族である農耕民族を支配していた。

国を治める康居王を頂点に、その下には5人の小王がいた。

  • 蘇䪥王…王治は蘇䪥城で、西域都護府を去ること5776里、陽関を去ること8025里に位置する。のちの史国
  • 附墨王…王治は附墨城で、西域都護府を去ること5767里、陽関を去ること8025里に位置する。のちの何国。
  • 窳匿王…王治は窳匿城で、西域都護府を去ること5266里、陽関を去ること7525里に位置する。のちの石国
  • 罽王…王治は罽城で、西域都護府を去ること6296里、陽関を去ること8555里に位置する。のちの安国
  • 薁鞬王…王治は薁鞬城で、西域都護府を去ること6906里、陽関を去ること8355里に位置する。のちの火尋国

[7]

人口

史記』大宛列伝では控弦者8~9万人とあり、『漢書』西域伝では戸数12万・人口60万・勝兵12万人とある。

参考資料

関連項目

外部リンク


  1. ^ 史記』(大宛列伝)、『漢書』(西域伝)
  2. ^ 後漢書』(西域伝)
  3. ^ 三国志』(裴注魏略』西戎伝)、『晋書』(四夷伝)、『魏書』(列伝第九十)、『北史』(列伝第八十五)
  4. ^ 旧唐書』(列伝第一百四十四下、列伝第一百四十八)、『新唐書』(列伝第一百四十下、列伝第一百四十六下)
  5. ^ 白鳥 1970,p59、岩村 2007
  6. ^ 『晋書』(四夷伝)
  7. ^ a b 『漢書』西域伝


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