中国による記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 16:56 UTC 版)
中国の記録によると、奄蔡という国がある時期から阿蘭国ないし阿蘭聊国と改名し、康居という遊牧国家に属したり属さなかったりしていた。習俗からみて遊牧民であることがわかる。 西北に転じれば烏孫・康居であり、本国は(これまで)増損が無い。北烏伊別国は康居の北に在り、又た柳国があり、又た巖国がある。又た奄蔡があって一名を阿蘭とし、皆な康居と習俗を同じくする。(これらは)西は大秦と、東南は康居と接している。その国には名品たる貂が多く、水草を逐って畜牧して大沢に臨み、ゆえに時には康居に羈属するが、今は属していない。 — 魚豢『魏略』西戎伝 奄蔡国は阿蘭聊国と改名する。地城に住み、康居に属する。気候は温暖で、多くの楨、松、白草がある。民俗や衣服は康居と同じ。 — 范曄『後漢書』西域伝
※この「中国による記録」の解説は、「アラン人」の解説の一部です。
「中国による記録」を含む「アラン人」の記事については、「アラン人」の概要を参照ください。
- 中国による記録のページへのリンク