岳温泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 03:29 UTC 版)
岳温泉 | |
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岳温泉の温泉街入口 | |
温泉情報 | |
所在地 | 福島県二本松市 |
座標 | 北緯37度36分29.3秒 東経140度21分21.6秒 / 北緯37.608139度 東経140.356000度座標: 北緯37度36分29.3秒 東経140度21分21.6秒 / 北緯37.608139度 東経140.356000度 |
交通 |
公共交通:JR二本松駅から福島交通の路線バスがある 車 - 東北自動車道二本松ICから国道459号 |
泉質 | 酸性泉 |
泉温(摂氏) | 68 °C |
外部リンク | 岳温泉観光協会 公式ウェブサイト |
岳温泉旅館協同組合は、何か目玉になるものを作ろうということで、「ミニ独立国」ブームにあやかり、1982年(昭和57年)4月28日にニコニコ共和国を「開国」した。
泉質
効能
- 胃腸病・神経痛
※注 : 効能は万人にその効果を保証するものではない
温泉街
源泉は安達太良山直下にあるくろがね小屋近辺にある。そこから温泉街の距離は8kmも離れており、引湯管を用いて湯を供給している。
普段は透明なお湯であるが、週に一度だけ乳白色のにごり湯になり、"ミルキーデイ"とよばれ岳温泉名物の一つとなっている。[2]ミルキーデイは基本的に毎週月曜日となることが多いが、悪天候や諸事情により日程がずれこむことがある。
源泉は硫黄をはじめとする温泉成分が濃いため、空気に触れるとすぐに温泉が流れる樹脂パイプ内に湯花が付着してしまい、放っておくとパイプが詰まり温泉街にお湯が届かなくなる。湯守(ゆもり)と呼ばれる人たちによって週に一度、パイプ内の湯花を落とす作業を行う。これを湯花流しといい、冬でもスノーシューを履いて源泉地帯まで歩いていき、雪の中から源泉や点検口を掘り出して湯花流しを行っている。湯花流しをすることで、透明なお湯が乳白色のにごり湯になり、普段よりも一層なめらかなお湯になる。
高村光太郎の『智恵子抄』に詠われた安達太良山の広い斜面にあり、同じく詠われた阿武隈川を見下ろせる。温泉街の一角に、岳温泉神社がある。
歴史
開湯からの歩み
『日本三代実録』の貞観5年(863年)10月29日の条の「小結温泉に従五位下を授ける」、また『日本紀略』の寛平9年(897年)9月7日の条にある「小陽日温泉に正五位下を授ける」とある温泉(小結温泉や小陽日温泉(こゆい温泉))は岳温泉を指しているといわれ、平安時代には京都でも知られていた[1]。
江戸時代中期までは「陽日(ゆい)温泉」と呼ばれていて源泉地付近に温泉街があり、番所や藩主の御殿があったほか湯女も許可されるなど、歓楽温泉場として遠くは水戸などからも来湯する客で賑わいを博していた。しかし1824年(文政7年)8月に土石流によって温泉街が埋まり、200人を超す死傷者を出す大惨事となった(岳山変事または岳山崩れ)[3]。その翌年の1825年(文政8年)に現在地より少し北の、陽日温泉から見て湯川(阿賀野川水系の湯川とは別の川である)の下流に当たる場所(現在の塩沢温泉付近)に移転して「十文字岳温泉」を名乗り、温泉街の高台に藩主御殿や温泉神社が設けられ、中心地に総檜造り2階建ての旅館14軒と共同浴場3軒、他に茶屋・商店・工房が軒を連ねる、いわば温泉テーマパーク型温泉地として再建された。この時から引湯管を用いた温泉供給が始まった。
十文字岳温泉はそれからしばらく栄えたが、戊辰戦争の際に薩長を中心とした軍勢の拠点になることを防ぐため、温泉街は二本松藩によって焼き払われた。その後、1870年(明治3年)に現在地の南西に当たる別地に「深掘温泉」として温泉街が再建されたが、明治維新の動乱期ということもあって過去の温泉街のような賑わいはなく、民家を改装した小さな旅館9軒と共同浴場2軒、湯治客向けの店4軒の素朴な温泉場となった。それでも近在近郷の湯治客に親しまれていたが、1903年(明治36年)10月に旅館からの失火による火災で再び全滅した[4]。
温泉街の再建
2年後の1906年(明治39年)に地元の有志17名が岳温泉株式合資会社を設立し、国有林を払い下げてもらい、道路の整備に加え旅館・商店・共同浴場を設置して現在の岳温泉の原型を作るが、1923年(大正12年)に経営不振で倒産した[4]。その後台湾開発で財を築き台湾商工会議所の元会頭も務めた実業家の木村泰治(1870~1961) が投資価値ありと判断して、岳温泉株式合資会社の負債を肩代わりし、土地と温泉の権利一切を6万円で買収した[4]。そして1948年(昭和23年) に湯元から管を4000本以上つないで引湯し、温泉街を再建した[5]。
1982年(昭和57年)4月28日、岳温泉旅館協同組合がニコニコ共和国を「開国」した。
- ^ a b “岳温泉国民保養温泉地計画書”. 環境省. 2023年8月7日閲覧。
- ^ “岳温泉の湯が週1日だけ乳白色に!? “ミルキーデイ”のヒミツ大公開”. 岳温泉観光協会公式サイト. 2021年11月24日閲覧。
- ^ “岳温泉の土石流災害と復興の歩みを継承 岳山変事顕彰会が発足へ 福島県二本松市”. 福島民報. 2023年8月7日閲覧。
- ^ a b c 岳温泉の歴史・伝説岳温泉観光協会
- ^ 小川功「温泉会社の源泉リスクと観光資本家 : 遠距離引湯の廃絶例を中心に(福田敏浩教授退職記念論文集)」『彦根論叢』第386巻、滋賀大学経済学会、2010年12月、80-93頁、CRID 1050001202740021760、hdl:10441/8909、ISSN 0387-5989、NAID 120002739777。
- ^ 福島民友新聞記事:「ニコニコ共和国」全容集約へ 岳温泉観光協とJICA訓練生
- ^ 日経新聞 1982年5月29日
- ^ 福島民報 1982年5月5日
- ^ 商工ジャーナル1982年8月号
- ^ a b 岳温泉街に残るニコニコ共和国の名残に関する記事(2016年当時)
- ^ 福島民報 1982年7月22日
- ^ a b 産経新聞 1982年8月13日
- ^ ニコニコ共和国 建国記
- ^ 福島民報 1982年8月12日
- ^ 産経新聞 1982年8月14日
- ^ 日経新聞 1982年5月29日
- ^ 朝日新聞 1982年8月30日
- ^ 福島民報 1982年5月15日
- ^ a b 福島民報 1982年8月12日
- ^ 福島民報 1982年8月31日
- ^ 河北新報 1982年7月22日
- ^ a b 福島民報 1982年7月22日
- ^ 河北新報 1982年8月3日
- ^ 福島民報 1982年7月4日
- ^ 産経新聞 1982年8月17日
- ^ ホワイトスペースを活用した地上一般放送局に免許 東北総合通信局 報道資料 平成25年7月30日(国立国会図書館のアーカイブ:2013年8月1日収集)
- ^ 岳温泉観光協、携帯に番組配信実験 競技生中継や企業CM 日本経済新聞 2013年8月1日
- ^ 岳温泉エリア放送 Facebook
- ^ 東北総合通信局のエリア放送を行う一般放送局の免許状況の国立国会図書館のアーカイブ 2017年8月1日収集と 2017年9月1日収集の比較による。
- ^ エリア放送を行う地上一般放送局の免許状況【詳細】[詳細5] 東北総合通信局(国立国会図書館のアーカイブ:2014年2月3日収集)
嶽温泉
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