岡本真夜 人物

岡本真夜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 03:58 UTC 版)

人物

私生活

祖父母、実の両親

祖父は警察官を退職した後、事業に失敗したり人に騙されるなど色んな人生経験をした[16]。祖母からもらった言葉で一番嬉しかったのは、デビュー10周年の時に電話で「よく頑張ってきたね」と言われたこと[16]。その後祖父は2007年に他界し、祖母は2022年に100歳で亡くなった[注 10]。岡本によると、祖母は岡本を教師にさせたかったらしく、子供の頃に直接勉強を教えてくれたが、本人は勉強は苦手だった[16]。祖母は90歳を過ぎた頃から入退院を繰り返したこともあり、おばに面倒を診てもらっていた[16]。2018年に[注 11]発売した曲『Mother ~あなたに花束を~』は、当時存命だった“おかあさん”(祖母)を想って作曲した[16]。祖母の誕生日が10月15日であることから、2018年の夏から毎月15日に花を贈るようになった[16]。祖母は花を贈られたことを喜び1日中持っており、枯れた花をおばが捨てようとしても拒否するほど大事にしていたという[16]

実の両親とは幼い頃に年に1回会っていたが、その後実母は音信不通となった[3]。実父とは、以後も年に1度、誕生日の時だけメールを送る仲とのこと(2023年7月現在)[3]

息子などとの生活

前述の通り、2000年に長男が誕生したが2013年に離婚し[注 12]、以後一児のシングルマザーとして息子を育てた[3]。息子との親子関係は友だちに近く、岡本は帰宅後に仕事のことも含めて「今日こういうことがあって…」と友だちみたいに何でも話していた[16]。元夫とは、長男が20歳になるまでは年に一回は3人で食事に行く関係を保っており[3]、現在(2015年時点)も元夫の両親も岡本のライブに毎回顔出している[6]。長男は2019年4月に大学進学のため家を出ており[16]、現在はひとり暮らし。チワワの"シド"、マンチカンの"こしあん"を飼っている。長男とシドは仲が良く、彼が家を出る時も連れて行きたいと思っていたほどで、毎日のようにシドの写真を送っているとのこと。

過去には、1998年から雌のヨークシャーテリア"のん"、その息子の"ぷー"を飼っていた。奇しくも、のん・ぷー共に名古屋でのライブの前日に岡本の腕の中で息を引き取っている。その為、現在も名古屋でのライブの際は2匹のことを思い出すと述べている。

長年犬派であったが、2017年にウィリアムス浩子の自宅を訪れた際、初対面の岡本の手に顎を乗っけて眠るほど人懐っこいロシアンブルーと出逢ったことで、それまで抱いていた「自由気ままでわがまま」という猫へのイメージが一変した。それ以降「猫も良いな」と考えるようになり、猫ブリーダーのサイトを毎晩眺めるうち、前述のこしあんの写真を見て一目惚れし、息子に無断で連れて返ってきたという。

性格

性格について本人は、「とにかくマイペースなところか私の長所であり短所。どちらかと言うと男っぽい性格だと思います」と自己評価している。また、「世間からは“レースのカーテンのある部屋で紅茶を飲んでいそう”とか“フランス映画ばかり見ていそう”とかよく言われますが、全くそんなことないです(笑)」と語っている[3]

飲み仲間の島崎和歌子からは、「真夜ちゃんはまさに“はちきん”(土佐弁で『自立心の強い女性』の意味)。肝っ玉があるというか、大変なことがあっても全然めげずに自分の好きな道を行く所は、やっぱり高知の女性だなと思います」と語っている。さらに「最初会うまでは大人しい人なのかなと思っていたのですが、実際に会ってみたら明るくて社交的で、それまで見ていたアーティスト“岡本真夜”のイメージと普段の彼女とのギャップが結構ありました」と回想している[3]

親交があるジャズピアニストの国府弘子は、岡本の人柄について以下のように語っている。「物静かで聞き上手なんですけど、決断力と行動力に至っては私の想像を遥かに超えるぐらいあります。また、真夜さんは人生を素敵に楽しむコツを知っている人。私の方が年上なのに、いつも彼女を頼りにしています」[3]

大人しい若しくは優しいとのイメージがあるが、電話等は長電話する上、プライベートでは賑やかだと語っている。音楽に対しては、土佐っ子譲りの頑固で「音符や言葉の一つ一つが自分から生まれた子どもみたいなもの。我が子を世に送り出すのと同じで、ハンパなことはできません」と語っている。その為、スタッフと意見が衝突する事もある。基本的に、自分の作品を他人に1文字1単語でも勝手に変えられるのは嫌いで「これを変えられたら岡本真夜の曲じゃなくなる、それならその曲は歌わない」とも述べている[20]。一方、2019年岸谷香森高千里と共にゲスト出演した「ミュージックフェア」で「今ではタイアップ先などの要望にも柔軟に対応できるようになった」と発言している。

カメラの被写体になることが苦手なこともあり、デビュー当初は本人の希望で顔出しNGにしていた。「TOMORROW」のCDジャケット写真は顔が分からないようになっており、テレビ番組への出演もしなかった。雑誌などの取材は受けていたが、掲載する写真はその場では撮らず、いつも事務所が事前に用意したアーティスト写真を使用してもらっていた[注 13]

曲作りについて、曲は頭の中にパッと浮かんだものを形にしている。歌詞は日常生活や友達との何気ない会話から生まれることが多いが、実体験から詞が生まれることは少ないとのこと[3]

ある日偶然、「大好きな彼が病気で天国に逝ってしまった」「愛する夫を病気で亡くした」という似た内容のファンレターが2通同時に届いた。岡本はこれらのファンレターを出してくれた人に何か出来ないかと思い、その内容を題材にした楽曲「この星空の彼方」を制作し、送り主であるファンへエールを送った[24]

東日本大震災の被災者への義援金の案内やチャリティーコンサート等を長期的に行っている。アルバム「Tomorrow」は、売り上げの一部を義援金として寄付したいというコメントが岡本自身から発表された。他にも台風被害を受けた保育所に支援品を贈るなどしている[25]

趣味

趣味は写真撮影。CDジャケットでカメラを持っているものがあるが、そのカメラは自前である。個展を開いた経験があるほか、ブログ等でも自身が撮影した写真等を公開している。デビューから1年ほど経った頃、ロケで行ったパリで、一組の外国人カップルが楽しそうにカフェで会話しているところを見つけ、カメラのシャッターを押した。「帰国後に現像した写真を見てびっくりしました。女性の顔が、まるで別れ際のように切ない表情だったからです」と感じ、写真を眺めているうちに頭の中でバラードのメロディーが浮かんできたという。瞬間を切り取った写真と、そこから生まれた歌もある事からカメラの面白さにハマり、常にカメラを持ち歩くようになった。カメラは十数台所持しており、その中でも一番気に入っているのは中古で購入したインスタントカメラで、モノクロフィルムで撮影することが多く、詞やメロディーが生まれるのも、モノクロ写真の方が「カラーよりも、自分の色やイメージに染めやすい」と語っている。基本的にはデジタルカメラは便利だがフィルムカメラの味わいが出ないと語り、撮りためた写真も岡本には宝物で「旅の思い出、友達との時間、生きてきた証し、そうしたものが写真1枚1枚に詰まっているんです」とも語っている[26][27]

雑貨作りが好きで[3]、アクセサリーやバッグやぬいぐるみ等を作る一面も持ち合わせている。自身の子のカバン等を手作りする際に生まれた楽曲も存在する。バッグやぬいぐるみは、ファンへプレゼントしたり、材料費同然の低価格で販売することもある[28]。趣味は雑貨作りで、作ったアクセサリーやポーチなどを時々販売している。

度々、映画も鑑賞するほか、サッカー観戦も好む[26][29]

故郷

デビュー当時は作曲や作詞に詰まる事があると高知に帰省し、友人と思う存分遊ぶことでリフレッシュしていた。帰省時は高校時代の同級生が集まり歓迎してくれるとのこと。デビュー当時は「いつか高知でもコンサートを」開催することも目標としていた[30]2010年8月には地元高知の「よさこい祭り・前夜祭」にてシークレットゲストとして凱旋ライブを決行した[31]2018年12月、高知県観光特使に就任した[32]

芸能界の友人

  • 千秋
    • 岡本の手料理を食べたり一緒に遊んだりしている。毎日のように遊んでた時期も存在するほど。性格はまったく違うが気が合う。二人でインテリア談義をするのが好きだと千秋はブログにて書き込んでいる。
  • 能勢ヒロシビーグル38
    • 高知県立高知南高等学校2年生からの同級生、現在も東京で数人規模の同窓会を開催している。岡本には珍しく男性の友人。
  • 島崎和歌子
    • 同郷の縁で、お互いに20代前半の頃に出会ってすぐに友人となり、以降時々2人でお酒を飲みに行っている[3]2009年1月28日に島崎がリリースした「Happy Life 〜明日に向かって〜」は、岡本による書下ろしである。1歳年上で年齢も近い事もあり、岡本の癖や行動を良い意味で指摘してくれる人物でもあるとのこと。
  • 西村由紀江
    • 共通の趣味友達で、サッカー観戦で意気投合した。以前からの知り合いである。
  • 岩崎宏美
  • 中山美穂
    • 1996年に「未来へのプレゼント」を楽曲提供、コラボレーションをしている。フランス在住の中山を訪ねることもあり、そのことは岡本のブログや中山のエッセイで綴られている。
  • 相川七瀬
    • 岡本と同じ1995年にデビューしており、相川の誕生日パーティーにも招待される友人の一人である。2014年に「桜舞い降りる頃、涙色」にて楽曲提供、コラボレーションを果たしている。
  • 華原朋美
    • 相川同様、デビューは同じ1995年である。
  • 国府弘子(ジャズピアニスト)
    • 親しい友人の一人。音楽活動で岡本とステージで共演したり、プライベートで女子会を開いたり、大晦日や誕生日を一緒に過ごしている[3]

尊敬する人物・アーティスト

  • DREAMS COME TRUE
    • DREAMS COME TRUEに憧れて歌手になったと話している。吉田美和の前に立つと今でも緊張すると述べている。
  • 竹内まりや
    • 結婚後の理想のスタイルについて、「元々、理想のスタイルは例えば竹内まりやさんのように、家庭を大切にしつつの活動だったんです。私らしい速度で音楽を作り続けていけたらいいな」と岡本本人が語っている。
  • 高知県立中村高等学校の担任教諭
    • 岡本の恩師、岡本が進路相談をした時に「歌手になりたい」と話している。担任教諭は「この子は何を考えているんだ」と思ったと話している。TBS系ドラマ『セカンド・チャンス』を見た時「家族全員で正座して見た」とも語っている。現在も手紙や電話で時折連絡を取り合っている。

注釈

  1. ^ 1997年発売、2005年に12cmシングル化。
  2. ^ 本人は、「辛い時はピアノを一日中、何時間も弾いていましたね。ピアノは私にとっては空気のような存在で、なくてはならないものでした。ピアノに助けられてきたので、奏でる立場になった今は、私のピアノの音が誰かの救いになればいいなと思って弾いています」と語っている[3]
  3. ^ 本人は、「それまで人前で歌うことは苦手でしたが、ドリカムを聴いて歌うことの素晴らしさを知ったんです」と述懐している[3]
  4. ^ 本人によると、「とりあえず作曲入門の本を買いましたがコード(和音)のことしか書いていなくて、結局作曲のことはよく分かりませんでした」とのこと。
  5. ^ 本人は、「デビュー当時は“私らしい曲ではないのに”と思っていたので、代表曲として捉えられることに何年も葛藤がありました。でも、今はこの曲がなければ今の私はなかったと思っています」と述懐している[3]
  6. ^ 本人は、(若かったこともあって上手く立ち回れず、契約解除について事務所スタッフからは叱咤されたり、親族からは『面倒を見てもらったのに今辞めようとするなんて』などと責められました。ほどなくしてトラブルを知った週刊誌の記者が自宅前に張られたので、当時のレコード会社の社長が用意して下さったホテルでしばらくの間暮らしました。孤独でしたね」と述懐している[3]
  7. ^ 本人は、「音楽を売っていく以上、自分が商品という立場でもあることは理解しています。でも私は操り人形ではないですし、自分で生み出した作品は自分で守りたいと思う。人に流された人生は後悔しか残らないので」と語っている[3]
  8. ^ 本人は後に、「『Alone』をリリースしてから数え切れないくらいのファンレターをいただき、シンガー・ソングライターとしてやっと認められたと安堵しました。私にとっては、『Alone』が本当のデビュー曲という感覚です」と述懐している[3]
  9. ^ 本人によると、「被災者の皆さんを励ますためにイベントライブに参加しましたが、ある人から『まだ歌を受け入れられない人もいる』との言葉を聞きました。複雑な思いのまま自宅に戻ったのですが、数日後ピアノを弾いた時に、『被災者の方に歌ではなくピアノの優しい音色なら癒やしを届けられるのかもしれない』と思い、ピアノの曲も作るようになりました」と語っている[3]
  10. ^ 本人はその後、「私は学生時代に養女ということが嫌で、一時は祖父母に反抗していた時期もあります。でも小学校の運動会などにも来てくれたし、愛情をたくさん注いで育ててくれたので、今は本当に感謝でいっぱいです」と語っている[3]
  11. ^ 同年発売のアルバム「Happy Days」に収録。
  12. ^ 本人によると、「離婚の原因はいくつかありますが、一つは当時私が仕事を優先しすぎたことにあると思います。ちょうどピアニストとして活動を始めた頃で、夫婦間でのお互いの愛情のバランスが取れなくなってしまって」と回想している。
  13. ^ 本人は後に、「カメラやテレビが苦手だったのと、当時は楽曲だけで勝負したいと思っていたので、メディアには出ないという約束でデビューさせてもらったんです。でも『TOMORROW』が大ヒットしたことで『生で歌っているのを聴きたい』という声が大きくなり、周りの大人たちに巻き込まれて顔出しすることになって(笑)。それで仕方なく、その年の紅白歌合戦で初めて顔出しをしたんです。ライブをするのは好きなのですが、今(2023年)もテレビに出るのは苦手ですね」と回想している[3]
  14. ^ 相川七瀬のシングルであるが、カップリングとして岡本が歌唱したセルフカバーバージョンが収録されている。
  15. ^ タイトルは「Will…~未来へのプレゼント」で、歌詞も一部書き改められている。
  16. ^ フジテレビ系『志村屋です。』2009年7月度エンディングテーマ、フジテレビ系『なべあちっ!』2009年7月度エンディングテーマ
  17. ^ 正確な曲名では、タイトルの末尾にハートマークが描かれている。

出典

  1. ^ a b c d 岡本真夜がピアニストデビュー!1stアルバム収録曲が「夢二 愛のとばしり」主題歌に”. 映画.com (2016年2月16日). 2016年2月17日閲覧。
  2. ^ 岡本真夜 | ドリーミュージック・
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be 週刊女性2023年8月1日号・人間ドキュメント「涙の数だけ強くなれた~岡本真夜」p40- 46
  4. ^ 甲子園へ!”. 岡本真夜オフィシャルブログ「Mayo Log」 (2017年1月31日). 2023年8月16日閲覧。
  5. ^ 岡本真夜さん母校に”. 高知県立高知南中学校・高等学校の公式ウェブサイトの副校長ブログより (2010年6月22日). 2023年8月16日閲覧。
  6. ^ a b 「皆様にご報告。」岡本真夜オフィシャルブログ "Mayo Log"
  7. ^ “岡本真夜、2年前に離婚していた「お互い愛情のバランスがとれなくなった」”. スポーツ報知 (株式会社報知新聞社). (2016年1月1日). https://web.archive.org/web/20160103015324/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160101-OHT1T50047.html 2016年1月1日閲覧。 
  8. ^ 岡本真夜(有限会社ノイ)とHppRecords合同会社がマネジメント契約(業務提携)を締結”. プレスリリース・ニュースリリース配信サービス「PR TIMES」 (2022年11月5日). 2023年8月18日閲覧。
  9. ^ 2023年11月30日午後8時0分ツイート
  10. ^ 岡本真夜、アイドルプロデュース解消に事務所回答「メンバーの不祥事でご迷惑をお掛けした」”. ENCOUNT. 2024年2月1日閲覧。
  11. ^ 【重要】岡本真夜 official fanclub Sun&Moon 閉鎖のお知らせ”. 岡本真夜OFFICIAL SITE (2023年11月1日). 2024年1月30日閲覧。
  12. ^ 岡本真夜OFFICIAL SITE 終了のご案内”. www.mayo-okamoto.com. 2024年2月1日閲覧。
  13. ^ a b 恋する金魚 1997.
  14. ^ 恋する金魚 1997, p. 24.
  15. ^ 恋する金魚 1997, p. 34.
  16. ^ a b c d e f g h i j k l 「お母さん」は祖母だった あの女性歌手が毎月、花を贈る理由”. BuzzFeedNews (2019年5月12日). 2023年8月20日閲覧。
  17. ^ 恋する金魚 1997, p. 22.
  18. ^ For Smile 1997, p. 59.
  19. ^ For Smile 1997, p. 54.
  20. ^ a b 週刊朝日』2002年4月5日号『マリコのここまで聞いていいのかな』(52ページ)
  21. ^ For Smile 1997, p. 73.
  22. ^ サーチナ:上海万博の公式テーマソングに盗作疑惑!これって岡本真夜の歌じゃない?
  23. ^ 盗作疑惑の上海万博PRソング、岡本真夜が使用快諾で一段落
  24. ^ 2008年10月14日 OA「この星空の彼方」岡本真夜”. 『誰も知らない泣ける歌』公式サイト (2008年10月14日). 2014年3月25日閲覧。
  25. ^ 岡本真夜さん園児にエール 台風19号浸水の保育所に贈り物(福島民友新聞、2019年12月27日)
  26. ^ a b 恋する金魚 1997, p. 82-84.
  27. ^ 恋する金魚 1997, p. 126-127.
  28. ^ クリスマスlive 手作りグッズ”. Mayo Log (2013年12月17日). 2014年3月25日閲覧。
  29. ^ 恋する金魚 1997, p. 122-123.
  30. ^ OH縁メッセージ Vol.05 岡本真夜”. とさぶしweb. 2014年3月25日閲覧。
  31. ^ 第57回よさこい祭り”. yosakoi.com. 2014年3月25日閲覧。
  32. ^ “岡本真夜、出身地の高知県観光特使に就任”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2018年12月13日). https://www.sanspo.com/article/20181213-Y5L4CKUUSJOATGO4E2ACAR2Z2I/ 2018年12月13日閲覧。 
  33. ^ “mayo”名義でピアニストデビューの岡本真夜、映画「夢二~愛のとばしり」に楽曲を提供”. TV LIFE (2016年2月4日). 2016年2月17日閲覧。
  34. ^ 岡本真夜「25th Anniversary BEST ALBUM~Thanks a million~」初回限定盤 発売延期のお知らせ”. dreamusic (2020年4月27日). 2020年6月21日閲覧。
  35. ^ http://blog.otohane.net/news/2009/05/post-2.php 岡本真夜「君が笑顔でありますように」配信スタート!(2015年3月7日閲覧)
  36. ^ 岡本真夜デビュー20周年ベスト発売、「アララの呪文」セルフカバーや新曲も - 音楽ナタリー ナタリー(2015年7月9日)
  37. ^ 平原綾香に中島みゆきら9人が楽曲提供 幼少時知る玉置浩二「目頭が熱く…」”. ORICON STYLE (2016年2月25日). 2016年2月25日閲覧。
  38. ^ 岡本真夜、映画『デジモン』ED曲を書き下ろし AiM「20年を思い出す詞」”. ORICON NEWS (2020年1月11日). 2020年3月6日閲覧。
  39. ^ 岡本真夜さんから“光”のプレゼント ― 京都芸術大学附属高等学校の校歌をサプライズ発表”. 京都芸術大学「瓜生通信」 (2020年11月6日). 2020年11月21日閲覧。
  40. ^ 『Tokyo 7th シスターズ』岡本真夜作詞・作曲のLe☆S☆Ca最新曲「cross road」MV解禁!”. リスアニ!Web. 2023年5月15日閲覧。






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