太田幸司 人物像

太田幸司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 21:06 UTC 版)

人物像

北国の青森県出身であった太田は兵庫の夏の暑さにやられ、夏バテとともに水虫を発症したことが太田の活躍を妨げた一因という話がある。反面、寒さには強いのか、冬でも半袖で過ごす。出演番組でも、そのことがよく話題になる。

若手時代までコメントに東北なまりが残っていたが、その後関西で長く生活してきたこともあって、現在では関西弁にすっかりなじんでいる。MBSラジオで放送される番組やCMでも、関西弁を交えたトークやセリフが多い。特に近年では、同局の生放送番組へ出演するたびに、「芸人よりよく喋る」「時報を挟まないと話が終わらない」と共演者に言われるほど多弁な一面を披露している。

家族

現役時代の後年には、羽曳野市に自宅を建てたうえで、両親を三沢から呼び寄せて同居。そのため、一人っ子でありながら、両親を扶養する関係で長らく独身を通していた。

1992年のプロ野球開幕前には、「もし阪神が今年優勝したら結婚する」と宣言。しかも、阪神が同年に最後までヤクルトと激しい優勝争いを演じたため、結婚の話が現実味を帯びた。しかし、阪神が結局2位に終わったため、宣言の実行は幻に終わった。

44歳の時に、自身の後援会会長の娘と結婚。その後は、3人の実子を授かるとともに、兵庫県宝塚市で暮らしている[2]

長男は、リトルシニアの地元チーム・宝塚シニアを経て、福知山成美高等学校の硬式野球部で投手として活躍[12]。2013年の第95回全国高等学校野球選手権大会では、主将として同部を京都大会での優勝に導くとともに、父に続いて全国大会でのベンチ登録を果たした[13]。全国大会では選手として出場できずに初戦で敗退したが、2014年1月10日には、京都府内の高校球児からただ1人日本学生野球協会の「平成25年度表彰選手」に選出[14]びわこ成蹊スポーツ大学への進学後もプレーを続けていた。

次男も、宝塚シニアを経て、2018年の夏まで三田松聖高等学校の硬式野球部で投手としてプレー[15]。太田は、解説者などの活動と並行しながら、宝塚シニアの技術アドバイザーを務めている。

長女は宝塚歌劇団月組所属の妃純凛である[16]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1970 近鉄 25 7 0 0 0 1 4 -- -- .200 236 56.1 62 5 18 0 2 37 0 0 26 24 3.86 1.42
1971 14 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 115 25.0 26 7 16 0 3 13 7 0 20 19 6.84 1.68
1972 16 8 1 0 0 2 1 -- -- .667 258 59.2 67 6 20 0 4 36 2 0 34 26 3.90 1.46
1973 40 28 4 1 0 6 14 -- -- .300 803 192.0 161 21 74 5 9 113 3 1 86 69 3.23 1.22
1974 43 26 2 0 0 10 14 2 -- .417 714 163.1 156 21 76 2 8 77 3 0 95 84 4.64 1.42
1975 35 24 12 1 1 12 12 1 -- .500 769 188.2 169 17 45 1 9 91 6 0 85 78 3.71 1.13
1976 29 23 2 1 0 9 7 0 -- .563 609 144.0 125 13 76 1 1 54 6 1 70 63 3.94 1.40
1977 36 29 14 2 2 10 14 1 -- .417 878 218.2 208 23 39 0 6 72 4 0 86 78 3.21 1.13
1978 21 15 2 1 0 1 9 0 -- .100 308 69.2 90 9 21 0 3 26 1 2 46 42 5.40 1.59
1979 31 20 4 1 0 7 4 0 -- .636 572 136.0 135 15 41 0 6 47 4 1 55 50 3.31 1.29
1980 14 3 0 0 0 0 4 0 -- .000 189 38.0 64 9 14 0 1 17 3 0 47 45 10.66 2.05
1981 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 12 2.0 3 1 2 0 0 2 0 0 4 2 9.00 2.50
1982 13 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 168 38.0 39 1 17 1 1 19 0 0 23 19 4.50 1.47
通算:13年 318 188 41 7 3 58 85 4 -- .406 5631 1331.1 1305 148 459 10 53 604 39 5 677 599 4.05 1.32

記録

初記録
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:7回 (1970年 - 1975年、1977年) ※1970年 - 1972年、1974年、1975年はファン投票選出

背番号

  • 18 (1970年 - 1982年)
  • 33 (1983年)
  • 24 (1984年)

  1. ^ a b 田澤拓也『「延長十八回」終わらず 伝説の決勝戦「三沢VS松山商」ナインたちの二十五年』文藝春秋、1994年。ISBN 9784163497501 
  2. ^ a b c d e f “太田幸司 「元祖・甲子園アイドル」人生、負けるが勝ち”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年9月15日). オリジナルの2013年8月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/pjx1e 
  3. ^ “<高校野球100年を振り返る>甲子園を彩った5人のアイドル球児。”. NumberWeb. (2015年7月8日). http://number.bunshun.jp/articles/-/823692 2017年12月10日閲覧。 
  4. ^ 日刊スポーツ1969年12月8日1面「太田、晴れて近鉄入り 谷沢もきょう『中日』表明 "ビッグ3"の去就決定 荒川は正式に大洋拒否」
  5. ^ 日刊スポーツ1969年12月23日1面「近鉄の"星"太田が誕生 背番号18・晴れて入団発表」
  6. ^ 日刊スポーツ1969年12月23日3面「話題の広場 現代のアイドル太田幸司 機動隊も出勤・爆発する人気の秘密」
  7. ^ a b c d “【4月19日】1970年(昭45) 元祖アイドル太田幸司 プロ初登板はジェットコースター”. スポーツニッポン. (2010年4月1日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0804/kiji/K20100401Z00003100.html 2017年12月10日閲覧。 
  8. ^ 【楽天】29年ぶり青森開催で三沢市出身・太田幸司氏が始球式 捕手は梨田監督が務めるスポーツ報知(2017年6月28日~
  9. ^ 伝説の延長18回再試合 決勝で投げ合った2人が始球式”. 朝日新聞. 2018年8月21日閲覧。
  10. ^ みずのひろの記述(『近鉄バファローズの時代』イースト・プレス、2004年、P87)によると、チームメートが追っかけを避けるために機転を利かせて答えたという。
  11. ^ 水島新司作にて週刊少年ジャンプ1970年第18号から27号にて連載。
  12. ^ 太田幸司長男初のベンチ入り/第94回全国高等学校野球選手権大会京都大会 - 日刊スポーツ2012年7月10日
  13. ^ 福知山成美主将・(原文では実名)は太田幸司氏の息子 - サンケイスポーツ2013年8月2日付(共同通信配信記事)
  14. ^ 日本学生野球協会表彰選手 第46回・平成25年度:高校の部
  15. ^ 三田松聖が初戦突破 太田幸司氏次男、三塁ベースコーチで勝利貢献! - デイリースポーツ2018年7月14日付記事
  16. ^ “宝塚100期生の配属決定 3月に初舞台”. 日刊スポーツ. (2015年2月17日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20150217-1435755.html 2021年1月29日閲覧。 
  17. ^ 女子高校野球の決勝が甲子園で実現! 実は、あの太田幸司さんも提言していた”. Yahoo!ニュース (2021年5月1日). 2021年8月24日閲覧。


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