大浦みずき 略歴

大浦みずき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 17:05 UTC 版)

略歴

  • 家族は両親と姉(啓子)。父は小説家阪田寛夫
  • 小学校4年生からバレエを習っていた。初舞台は小学校4年生の12月に公演した「くるみ割り人形」の子ねずみの役。最後の舞台は高校入学試験の前日に行われた「白鳥の湖」だった[2]
  • 父が大の宝塚ファンで、小さい頃から「宝塚に入れるぞ」と小言のように言われていた。ところが、宝塚音楽学校受験を決心したところ、当初はなぜか父親から反対された。最終的に中学卒業を条件に1回だけの受験を認められ、試験に合格した[3]
  • 1974年60期生として宝塚歌劇団に入団、『虞美人』で初舞台。入団時の成績は3番[4]。芸名は父の小中学校時代の同級生で朝日放送の同僚としても親交の深かった庄野潤三が命名。
  • 雪組〜星組を経て花組へ。ダンスの名手として鳴らし(宝塚の「フレッド・アステア」と評される[5])、同期の磯野千尋朝香じゅん瀬川佳英幸和希安寿ミラ真矢みきらと共に当時の花組トップ高汐巴を盛り立てた。
  • しかし高汐がトップ後期の1987年半月板損傷手術により長期休演を余儀なくされた。懸命のリハビリで故障克服、怪我以前よりダンスを磨き舞台復帰。
  • 1988年 - 1991年まで、ひびき美都を相手役に花組トップスターを務める。「(当時の)宝塚で最も高いプロ意識を持ち」[6]「ダンスの花組」と呼ばれる一時代を築いた。宝塚時代の代表作は『キス・ミー・ケイト』(1988年トップ就任作)、『会議は踊る』(1989年)、『ベルサイユのばら』(1990年、フェルゼン役)、『ヴェネチアの紋章』(1991年サヨナラ公演作)。
  • 1989年には歌劇団のニューヨーク公演でメインを張った。
  • 多くの名シーンを残したが、自身が一番好きだったものは退団後の取材によると、デュエットダンスでは『メモアール・ド・パリ』の「パッシィの館」、男役のダンスは『ショー・アップ・ショー』の「ピーターガン」、歌はオリジナルでは「心の翼」、「この世にただ一つ」、ジャズでは「Night & Day」だった(このうちの多くがサヨナラショーで再現された)[7]
  • 宝塚退団後も舞台を中心に女優(主に脇役や男性主役の相手役)として、又ダンス公演でも活躍。また退団後の1992年のニューヨーク公演では海外公演で初の"メインが(現役生徒でなく)歌劇団卒業生"という異例の大役を任ぜられたが、現役時代と遜色ないステージをこなした。私生活では独身を通していた。
  • 2009年11月14日7時、肺がんのため東京都内の病院で死去。53歳没[1]。前年より「胸膜炎のため」(所属事務所等の発表)として出演予定の舞台を降板し、2010年早々からの仕事復帰を期して療養中のさなか帰らぬ人となった[1]。12月2日のお別れの会では、共演者、OGの峰さを理平みち杜けあき一路真輝麻路さき稔幸湖月わたるなどの元トップスターも参列し、ファンら計約3000名が駆け付けた。
  • 一周忌の2010年11月に、実姉・内藤啓子(父・阪田寛夫の私設秘書のち事務所代表取締役)による書き下ろし回想エッセイ『赤毛のなっちゅん‐宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに』(中央公論新社)が上梓された。
  • 2014年、宝塚歌劇団100周年を記念して設立された宝塚歌劇の殿堂の最初の100人のひとりとして殿堂入り[8][9]。殿堂入りしたタカラジェンヌの中で、大浦は4番目の若さで没している[注釈 1]

脚注

  1. ^ これより没年が若いのは園井恵子(32歳没)、佐保美代子(41歳没)、轟夕起子(49歳没)の3人である。
  2. ^ 休演時の代役は宝塚が瀬川佳英、東京が朝香じゅん。

出典

  1. ^ a b c "元宝塚花組トップスター・大浦みずきさんが肺がんで死去". ORICON NEWS. 2009年11月16日. 2024年1月3日閲覧
  2. ^ 大浦みずき『夢✴︎宝塚』小学館、1991年7月20日、12,16頁。ISBN 4-09-363371-1 
  3. ^ 大浦みずき『夢✴︎宝塚』小学館、1991年7月20日、12,13,14頁。ISBN 4-09-363371-1 
  4. ^ 小林公一・監修『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P.86
  5. ^ 岸香織、「大浦みずきさん:女優:肺がんのため11月14日死去・53歳」『毎日新聞』、2009年12月16日、13版、27面
  6. ^ 宇佐見正(元朝日新聞編集委員、宝塚担当記者)「プロ意識とユーモア(大浦みずきに贈る言葉)」(「宝塚グラフ」1991年11月号、P.40)
  7. ^ 桜木星子 (2001年10月16日). “大浦みずきさんに聞きました!(2ページ目)”. All About. オールアバウト. 2011年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  8. ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140111-1242409.html 2023年7月23日閲覧。 
  9. ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0 
  10. ^ LAFFOOオフィシャルブログ「ご報告:大浦みずき記念基金設立」
  11. ^ LAFFOOオフィシャルブログ「ご報告:カンボジアの孤児院の多目的ルーム完成」






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