大浦光信とは? わかりやすく解説

大浦光信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/06 08:34 UTC 版)

 
大浦光信
大浦光信像
時代 戦国時代
生誕 寛正元年(1460年
死没 大永6年10月8日1526年11月12日[1]
墓所 青森県弘前市長勝寺
主君 南部信時
氏族 大浦氏
父母 父:金沢家信または久慈元信[2]
兄弟 光信、西館信建
政信[3]兼平盛純[4]、阿久?
養子:盛信[5]
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大浦 光信(おおうら みつのぶ)は、戦国時代武将陸奥国種里城主。南部守行の曾孫。

略歴

延徳3年(1491年)、南部信時南部久慈氏の一族・南部光信を津軽西浜の種里城(西津軽郡鰺ヶ沢町)に配置し安東氏への押さえとした[6]文亀2年(1502年)、光信は大浦城を築き養子・大浦盛信に守らせた。

大永6年(1526年)、種里城[6]で死去。享年67(51とも[1])。

死後、盛信によって長勝寺に祭られた。なお、遺言として「死後も西の備えたらん」と述べたため、盛信によって甲冑姿のままで埋葬されたと伝えられている。

実子との説もある大浦政信は、津軽家の公称系図では孫(光信の長女・阿久と津軽に来た近衛尚通の間に生まれた)にあたる。

光信の銅像 (種里城跡、1990年建立)

脚注

  1. ^ a b 『青森県史』
  2. ^ 南部守行の子である久慈威信(大浦則信)の子
  3. ^ 孫とも
  4. ^ 盛顕
  5. ^ 新庄信春次男?
  6. ^ a b 『弘前市史』

参考文献

  • 『弘前市史・通史編2』弘前市、2002年6月28日。 




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