大浦兼一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大浦兼一の意味・解説 

大浦兼一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

大浦 兼一(おおうら かねかず、1877年明治10年)5月21日[1] - 1953年昭和28年)12月14日[1][注 1])は、大正から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。旧名・求[1]

経歴

警視庁警部補であった大浦兼武の長男として生まれる[1][2][3]。官僚・政治家として功を挙げた兼武の叙爵に伴い、華族となった。大浦事件後の父の隠居に伴い、1915年(大正4年)8月13日、子爵を襲爵した[1][2]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[4][5]研究会に所属して活動し[6]1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[6]

1935年1月14日に隠居し[1][7]、家督は長男・兼次が継承し、同年2月15日、子爵を襲爵した[1][8]

親族

  • 母 コウ(山口直賢長女)[1][2]
  • 妻 はつ(稲生豊次郎長女、1899年12月結婚)[1][3]
  • 長男 兼次(旧名・武一、子爵)[1]
  • 養子 康信(子爵、松平康荘三男)[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁では昭和28年10月21日。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『平成新修旧華族家系大成 上巻』266頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』オ79-80頁。
  3. ^ a b 『華族畫報 下』707頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、26頁。
  5. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
  6. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
  7. ^ 『官報』第2421号、昭和10年1月30日。
  8. ^ 『官報』第2435号、昭和10年2月16日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代:
大浦兼武
子爵
大浦(兼武)家第2代
1915年 - 1935年
次代:
大浦兼次



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大浦兼一」の関連用語

大浦兼一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大浦兼一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大浦兼一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS