古東スラヴ語 キエフ・ルーシ期の文語

古東スラヴ語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 06:51 UTC 版)

キエフ・ルーシ期の文語

スヴャトスラフの選書[9](1073年)。

現在のベラルーシロシアウクライナといった地域が当時ルーシと呼ばれる国に統一されてからおよそ100年後の988年、ルーシはキリスト教を国教として導入し、南スラヴでは典礼語及び文語として古代教会スラヴ語が使用されることとなった。この古代教会スラヴ語(第一次ブルガリア帝国のプレスラフ・アカデミーで使用されていたため、古代ブルガリア語ともいう)は、ブルガリア帝国経由でルーシの地にもたらされたが、この時期に文書化された東スラヴ語の量はわずかであり、文字として使用された言語と実際に話された言語の関係について完全に確定させることは困難である。

アラブ東ローマの文献に、キリスト教化以前のスラヴ人が何らかの形で文語を使用していたとの言及もある。いくつかの示唆的な考古学的証拠もあるが、実際のところキリスト教化以前に使用されていた文語体については不明である。

ノヴゴロドにおいて聖書の翻訳などのためグラゴル文字が導入されたものの、間もなくキリル文字に取って代わられた。ノヴゴロドで発掘された、カバノキの皮に記された資料(白樺文書)は、教会スラヴ語の影響がほとんどない北西部ロシアで10世紀に使用された言語(古ノヴゴロド方言)を示す重要な資料である。この時期、ギリシャ語からの借用語・借用語句が使われはじめたことも知られており、同時に東スラヴ諸語への発展の兆しも見ることができる。

原初年代記

1110年頃に書かれた原初年代記の冒頭部分を以下に引用する。( 1377年ラヴレンチー写本より)

Се повѣсти времѧньных лѣт ‧ ѿкꙋдꙋ єсть пошла рꙋскаꙗ земѧ ‧ кто въ києвѣ нача первѣє кнѧжит ‧ и ѿкꙋдꙋ рꙋскаꙗ землѧ стала єсть.
これはルーシの国が何処から始まったか、誰がキエフに於いて最初に君臨し始めたか、しかしてルーシの国が如何にしてつくられたか、という過ぎし歳月の物語である[10]

イーゴリ遠征物語

1200年頃に書かれたイーゴリ遠征物語Слово о пълкꙋ Игоревѣ)の冒頭部分。(14世紀プスコフ写本から)

Не лѣпо ли ны бяшетъ братые, начати старыми словесы трꙋдныхъ повѣстій о полкꙋ Игоревѣ, Игоря Святъ славича? Начатижеся тъ пѣсни по былинамъ сего времени, а не по замышленію Бояню. Боянъ бо вѣщій, аще комꙋ хотяше пѣснѣ творити, то растекашется мысію по древꙋ, сѣрымъ волкомъ по земли, шизымъ орломъ подъ облакы.
兄弟たちよ、スビャトスラフの子イーゴリの遠征の悲しい物語は、昔のことばで始めるのがふさわしくないだろうか。この歌は、ボヤンの思いつきによってではなく、いまの時代のやりかたで始められなければならない。ことばの魔術師ボヤンは、だれかに歌を作ろうとすると、考えが木を伝わってひろがる。地上では灰色のおおかみのように、雲のもとでは褐色のわしのように[11]

注釈

  1. ^ 英語表記では、英語: Old Ruthenian Language(便宜上の訳語: 古ルテニア語)と呼称されることもある。

出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 19 ティビーエス・ブリタニカ p.513 『ロシア語』の項
  2. ^ 中沢 (2011), pp17-18
  3. ^ 亀井『言語学大辞典』pp.529-530
  4. ^ a b c 中井「ウクライナ語小史」p.157
  5. ^ 国民史観にとらわれない中立的な呼称として用いられる。Henryk Paszkiewicz. The making of the Russian nation, 1977. p.138,158. Andriĭ Danylenko. Slavica et Islamica: Ukrainian in context, 2006. p.38.
  6. ^ 亀井『言語学辞典』 p.529
  7. ^ 東郷『研究社露和辞典』 Полногла́сие の項より
  8. ^ Иванова Т. А. Старославянский язык. М.: Высшая школа, 1997. — с. 56.
  9. ^ 除村『ロシヤ年代記』856頁
  10. ^ 除村『ロシヤ年代記』3頁より引用
  11. ^ 森安『イーゴリ遠征物語』 165頁より引用
  12. ^ 和田『ロシア史』38頁
  13. ^ 除村『ロシヤ年代記』857頁


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