原節子 評価

原節子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 05:07 UTC 版)

原 節子(はら せつこ、本名:會田 昌江(あいだ まさえ)、1920年大正9年〉6月17日 - 2015年平成27年〉9月5日)は、日本女優[1]


注釈

  1. ^ 熊谷「日活の東京移轉で、三年ぶりに此方へ參りましてね。久しぶりに逢つた時に、何といふか非常に感受性が鋭い子だなアと直観的に感じたんですね。(中略)これは育て方に依つたら、ものになると思つたんですよ。その日江の島の方へ行つたんですが、その時妹も一緒に行かうと引張り出して、鎌倉で晝食をとつた時『どうだ昌江さん女優になつてみないか』と言つたんですよ。(中略)大體本人の希望は、その時は小學校の先生になりたかつたらしいですよ。然し何になるにしても、僕の力で人間にしてみたいと云ふ一種の衝動にかられましてね。兎に角當分僕等と一緒に暮らすことにしたんです。」熊谷光代「それから二、三日たつて、私が里に行つて、兩親や兄に女優にしてはと相談したんです。」[9]
  2. ^ 熊谷は、「あれでもない、これでもない、とみんなで考へた末原眞白はどうだと云ふことになつたんです。原眞白は腹眞ツ白に通ずるといふわけです。それで會社に行つて原眞白はどうだろうといふと、所長が一寸待つてくれ、原眞白ぢや餘りどうも語呂がおかしい、俺に考へさせてくれといひましてね。二、三日してからでしたか。所長が急に僕を呼び出して、今朝顔を洗つている中に、節子といふのが、靈感の様に頭に閃いたといふのです。僕は不滿だつたんですが、所長が大變な力の入れ方だから、それでもいゝでせうといふので、結局かういふ名前になつたんです。」と証言している[9]
  3. ^ 戦争中に国粋主義思想にのめりこみ映画界を離れて、国粋団体スメラ学塾にも参加した。
  4. ^ 他方、親しい友人には「40歳で引退したい」「引退するときは誰にも気づかれぬように消えていきたい」と話していたという[33]
  5. ^ 東宝副社長松田功「5、6年前まで東宝の契約者として安いものですが毎月契約料を払っていました(サンケイスポーツ1974年12月25日付)」[35]
  6. ^ 現存する最古の原節子作品とされる。
  7. ^ 原初のトーキー作品。
  8. ^ 義兄熊谷久虎の作品への初出演。
  9. ^ 冒頭の15分のみ現存、原はクレジットされているが出演場面を確認できないため、原節子作品リストに掲載されることがない幻の作品[要出典]
  10. ^ 原のフリー第1作にして初の松竹作品。
  11. ^ 原唯一の木下惠介監督作品。
  12. ^ 初の小津安二郎監督作品。
  13. ^ 原にとって初のカラー作品。
  14. ^ 原にとって初のワイドスクリーン作品。
  15. ^ 原が出演した最後の作品。

出典

  1. ^ a b c d e f g 宝島社 2017, p. 10.
  2. ^ キネマ写真館:原節子1第2部-PAGE3”. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月26日閲覧。
  3. ^ a b 原節子さん死去、日本映画黄金期を代表する女優 日刊スポーツ 2015年11月25日
  4. ^ 「ヴェールを脱いだ「原節子」隠遁52年間の後半生」『週刊新潮』(2015年12月10日号)掲載
  5. ^ 木下亮「素顔の原節子 昌江叔母へ」『キネマ旬報』2016年2月上旬号、p.24
  6. ^ 木下亮「独占手記 わが叔母『原節子』」『新潮45』2016年2月号、p.56
  7. ^ 本地 2006, p. 53.
  8. ^ 『横浜貿易新報』、1935年6月28日付記事にも「日活の銀幕へ 横浜高女から會田昌江嬢」とある。
  9. ^ a b 「熊谷・原兄妹にものを聽く」『婦人畫報』1937年4月号 p.129
  10. ^ “神奈川)原節子を教えた中島敦先生 記録見つかる”. https://www.asahi.com/articles/ASN6273TRN5XULOB00M.html/ 2020年6月12日閲覧。 
  11. ^ 本地 2006, p. 93.
  12. ^ 元海軍省調査課長高木惣吉の証言(『世界』1950年11月号掲載記事)[要文献特定詳細情報]
  13. ^ 本地 2006, p. 100.
  14. ^ 本地 2006, p. 108.
  15. ^ 石井 2016, p. 134.
  16. ^ 佐藤忠男『日本映画史 2 1941-1959』、岩波書店、1995年4月、p.42
  17. ^ 本地 2006, p. 120.
  18. ^ 「ゴジラ40年記念座談会 回想の東宝特撮円谷組」『ゴジラVSメカゴジラ』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.8〉、1993年12月11日、165頁。ISBN 4-924609-45-5 
  19. ^ 貴田 2010, p. 162.
  20. ^ 本地 2006, p. 136.
  21. ^ 本地 2006, p. 146.
  22. ^ 四方田犬彦『日本映画史110年』集英社〈集英社新書〉、2014年、159頁。"戦後民主主義の女神的な存在であった原節子は、小津作品に登場することで」「封建主義の打破を訴える活動家から、伝統的な美徳とされた貞淑さへの最後の体現者へと、女優人生において二度目の転向を果たしたのである"。 
  23. ^ 【復刻】「永遠の処女」絶頂期引退の訳/原さん死去” (2015年11月25日). 2015年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月25日閲覧。
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  29. ^ 石井 2016, pp. 255–256.
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  33. ^ a b 原節子の真実、p.257
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  36. ^ a b 「“伝説の女優”原節子 苦労人としての素顔」『週刊朝日』2015年12月8日号、朝日新聞出版。
  37. ^ 石井 2016, p. 264.
  38. ^ 藤本真澄によると多額だったという(原節子の真実、pp.264-265)
  39. ^ 原節子さん死去 昭和の大女優「永遠の処女」”. 中日スポーツ (2014年11月26日). 2015年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月29日閲覧。
  40. ^ 原節子さん「永遠の処女」のまま伝説の名女優95歳で死去”. スポーツ報知 (2014年11月26日). 2016年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月26日閲覧。
  41. ^ 原節子さん死去:「東京物語」ロケ 尾道はファンで大騒ぎ”. 毎日新聞 (2015年11月26日). 2015年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月26日閲覧。
  42. ^ 新潮45 特別編集 2012, p. 55.
  43. ^ 石坂 1995, pp. 165–166.
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  45. ^ 原節子のすべて(2012)、p.78
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  48. ^ 石井 2016, pp. 264–266.
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  55. ^ 『Emma』1985年11月10日号「生涯に一度だけ撮ったまぼろしの水着写真」の記事と共に65歳の近影が掲載
  56. ^ 新潮45 特別編集 2012, pp. 56–57.
  57. ^ 石井 2016, pp. 56–57.
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  59. ^ 新潮45 特別編集 2012, p. 57.
  60. ^ 石井 2016, p. 57.
  61. ^ 『女性自身』2002年7月30日号「元祖大女優原節子清閑なる生活」
  62. ^ 新潮45 特別編集 2012, p. 58.
  63. ^ 石井 2016, p. 58.
  64. ^ 田中眞澄編『小津安二郎 戦後語録集成』(フィルムアート社、1989年)、p.104
  65. ^ アサヒ芸能新聞』1951年9月9日付
  66. ^ 笠智衆『大船日記・小津安二郎先生の思い出』扶桑社、1991年、147頁。
  67. ^ 「はじめての原節子」『朝日新聞』2012年4月16日付朝刊、文化面。
  68. ^ 銀座百点「銀幕からの恩返し」(2014,11)、p.93
  69. ^ オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
  70. ^ 原節子さん「実はさばさばしていて男っぽい方」共演女優語る AERA 2015年12月2日閲覧。
  71. ^ 伝説の女優・原節子、実はたばこやビールが好き 素顔と隠遁生活の晩年 AERA 2020年6月23日閲覧。
  72. ^ 宝田明×川又昂×佐藤忠男「『東京物語』原節子を語ろう」『週刊現代』2014年12月27日号、p.153。キャメラマンの川又の証言。
  73. ^ a b 石井ふく子「身の丈のしあわせ 第10回 原節子さんのチョコレート」『週刊現代』2020年7月4日・11日合併号、pp.80-81
  74. ^ 石井妙子『原節子の真実』新潮社、2016年、p.262
  75. ^ 北野武『武がたけしを殺す理由 全映画インタヴュー集』ロッキング・オン、2003年、pp.120-121
  76. ^ 「ビートたけしの21世紀毒談 第1279回 バイク事故の時、原節子さんからもらった『数珠』の話をするぜっての」『週刊ポスト』2015年12月18日号、p.174
  77. ^ a b 石井妙子「追悼 原節子 大女優の果たせなかった夢」『新潮45』2016年1月号、p.107
  78. ^ 本地 2006, p. 174.
  79. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–536, 「主要特撮作品配役リスト」


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