千昌夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 20:36 UTC 版)
来歴
農家の次男として生まれ、父親を小学4年の時に亡くした。
1965年(昭和40年)に作曲家の遠藤実に入門し、9月5日に「君が好き」でデビュー。翌年3月24日発売の「星影のワルツ」が、1967年秋頃より大ヒットし、ミリオンセラーを記録[1]、1968年(昭和43年)の『NHK紅白歌合戦』に初出場した。その後「君がすべてさ」、「アケミという名で十八で」「懐かしの人」などがヒットした。
1979年(昭和54年)、1977年4月5日発売の「北国の春」が大ヒット[2]、ミリオンセラーとなり[1]、第21回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲も生まれた。
私生活では1972年(昭和47年)にシェパードと結婚。松下電器(現・パナソニック)のテレビ「パナカラー・クイントリックス」[1]やいすゞ・アスカ、象印マホービンのCMに夫婦で出演したが、1988年(昭和63年)に離婚した。後に18歳年下の外国人女性と再婚し、3人の子供をもうけている。次女のダニエラは2009年9月に芸能界にデビューしている[3]。
1970年(昭和45年)、仙台市郊外の5万坪の山林を4,000万円で購入した[1]。その後、東北新幹線の着工決定も手伝い、その土地を含めた周辺が市街化区域に編入されたことで、地価は10倍に上昇した。このことがきっかけとなり、1972年には「アベインターナショナル」を設立し、次第に不動産業に傾倒するようになり、バブル期には歌手を休業し不動産業に専念した。
「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有し、一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と揶揄されるほどで、千のものまねを持ちネタとしていたコロッケはよく「おら金もってんどー」というネタを使っていたが、1991年のバブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、2000年(平成12年)2月4日に「アベインターナショナル」は経営破綻した(東京地裁に特別清算を申請、負債総額は1,034億円)。1991年3月に「おやじ先生」をリリースし、歌手活動を再開した。
「アベインターナショナル」の債務を個人保証していたことから、最盛期には3,000億円を超える借金を抱えていた。殆どは旧日本長期信用銀行(長銀)からの借り入れで、長銀の経営破綻と一時国有化による公的資金投入で借金は1,000億円程度に棒引きされたが、それでも個人で返済可能な金額を遙かに上回るものであり、個人向け民事再生法を適用し、2002年(平成14年)に「6年間で約1億5,000万円を返済すればよい」という形で一応の決着を見た。
2011年(平成23年)3月11日に起きた東日本大震災に対する、ジャッキー・チェンが発起人となった香港でのチャリティーイベントに、エリック・ツァン、アンディ・ラウ、リッチー・レン、アグネス・チャン、中村雅俊、AKB48の前田亜美、梅田彩佳、松井咲子らと参加[4][5]、このイベントには義捐金2億9000万円が集まった[6]。
注釈
出典
- ^ a b c d e “千昌夫の教訓”. 2011年4月3日閲覧。
- ^ “河北春秋”. 河北新報 (2011年3月29日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “千昌夫の娘・ダニエラも登場 モデル12人が渋谷パレード”. 朝日新聞 (2009年10月1日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “ジャッキー・チェンら200組集結! 義援金2.6億円超集める”. Oricon. 2024年3月6日閲覧。
- ^ “香港スターの日本応援イベント、義援金2億円集める”. サーチナ (2011年4月2日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “ジャッキー発起イベントで2億9000万円”. サンケイスポーツ (2011年4月3日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “東日本大震災に関するお知らせ”. キャピタルホテル1000 (2011年3月12日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ キャピタルホテル1000
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