北村透谷 北村透谷の概要

北村透谷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 00:58 UTC 版)

北村きたむら 透谷とうこく
北村透谷
誕生 北村 門太郎(きたむら もんたろう)
1868年12月29日
日本相模国足柄下郡小田原
死没 (1894-05-16) 1894年5月16日(25歳没)
日本東京府東京市芝区
墓地 高長寺(神奈川県小田原市)
職業 評論家
詩人
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 東京専門学校(現・早稲田大学)中退
活動期間 1891年 - 1894年
ジャンル 評論
主題 近代的自我の確立
文学活動 ロマン主義
代表作 『蓬莱曲』(1891年、詩集)
『厭世詩家と女性』(1892年、評論)
『人生に相渉るとは何の謂ぞ』(1893年、評論)
内部生命論』(1893年、評論)
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北村透谷生誕之地
小田原市浜町3-11-14

相模国小田原(現・神奈川県小田原市)に生まれた。幼少時代、両親から離れて厳格な祖父と愛情薄い継祖母に育てられ、のちに神経質な母親の束縛を受けたことが性情の形成に大きな影響を与えたといわれる。

1881年に東京数寄屋橋の近くに移住。東京専門学校(現・早大)政治科に入学、東京の三多摩地方を放浪して壮士たちと交わるが、民権運動が過激になり離脱。1888年に洗礼を受け、同年、民権運動家石坂昌孝の娘ミナと結婚。翌年、自己の暗い内面と愛と自由をうたった長編叙事詩『楚囚之詩』を刊行。

『厭世詩家と女性』(1892年)を発表して文壇に登場。1893年には島崎藤村星野天知らと雑誌「文学界」を創刊し、同人たちの浪漫主義運動を主導したが、そこには、例えば「恋愛は人生の秘鑰なり」「男女相愛して後始めて社界の真相を知る」と述べた『厭世詩家と女性』にみられるような恋愛至上主義的傾向がみられる。また、文学は世俗的な功利を求めず、人間性の深い真実をこそ求めるべきとした(「人生相渉論争」)。『内部生命論』では、内面的生命における自由と幸福を重んじた。

『人生に相渉るとは何の謂ぞ』、『内部生命論』、『漫罵』(全て1893年)などの評論をたてつづけに発表したが、理想と現実の矛盾に苦しみ、1894年、自殺。


注釈

  1. ^ 近くに数寄屋橋があり、筆名の透谷は「すきや」をもじったもの。
  2. ^ 東京専門学校には、1886年(明治19年)頃まで籍を置いていたとされるが、卒業はしていない。
  3. ^ 当時は尾崎紅葉硯友社の最盛期であった。
  4. ^ 1894年4月24日刊行。民友社の『拾弐文豪』の1冊。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 紅野敏郎・佐々木啓之編「北村透谷年譜」『現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集』筑摩書房、1969年初版、1988年15刷、pp.419-422
  2. ^ 勝本清一郎「北村透谷」『北村透谷選集』岩波文庫、1970年、pp.383-394
  3. ^ 平岡敏夫 「透谷の家系・家族・環境」『続北村透谷研究』 有精堂出版、1982年5月、ISBN 978-4-640-30222-9
  4. ^ 白政晶子 「透谷展を終えて 附丸山古香」『北村透谷研究 第26号』 北村透谷研究会事務局、2015年6月6日、pp.60-67。
  5. ^ 勝本清一郎「解題」『透谷全集 第一巻』岩波書店、1950年、1973年14刷改版、p.414
  6. ^ 勝本清一郎「年譜」『透谷全集 第三巻』岩波書店、1955年、1972年12刷、p.603
  7. ^ 日本キリスト教歴史大事典編集委員会編『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年、p.1052
  8. ^ 守部喜雅『日本宣教の夜明け』マナブックス、2009年、p.21


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