中村氏 (下野国) 墓所

中村氏 (下野国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 13:27 UTC 版)

墓所

江戸時代建造の中村氏館跡に残る中村神社。2017年現在は栃木放送駐車場の一部になっている。

栃木県真岡市の荘厳寺に源頼朝供養塔とともに数基の墓石群が存在する。伝承によると中村朝定を初めとする歴代の中村城主の墓所であり、天文13年に下館城主・水谷蟠龍斎正村によって中村城が攻め落とされ領地が奪われた際に敵方となった中村城主一族の墓所と知られ打毀せぬよう源頼朝供養塔として後の世に伝わったとされている。中里魚彦(東京大学史料編纂所講師栃木県文化財保護審議会委員)の研究によると、この伝承として伝わる墓石群と中村城主一族との関係の手掛かりを見つけるために墓石の拓をとり墓碑の文字を調査したが風化、破損等により中村一族の墓石群であるとの確証をとるには至らなかった[19]

宇都宮氏の家臣として従えた中興の中村氏の墓所は祥雲寺 (宇都宮市)[注釈 10]である。中村氏は代々葬儀に際しては胸に短刀を翳し弔ふとされており、これが累代の守り刀とされ、中村朝定が念西(伊達朝宗)の養子として入る際に形見として持っていたとも、中興の祖中村経長足利尊氏より拝領したとも謂れていたが、第二次世界大戦宇都宮大空襲の際に焼失或いは盗難にあい現在は消失している。

中村大明神(中村小太郎明神)
中村大明神
中村城跡にこの源義経の遺児中村朝定を祀る社が存在する。真岡市教育委員会発行の『真岡市史案内・中村城』によると中村大明神の由緒については「中村左衛尉朝定死后、中村大明神と崇り祀り、歳々十一月十五日土人之ヲ祭ルナリ」とあり中村常陸介宗村次男を祀る社であるとされている。なお、この中村大明神は中村城落城の後、最後の城主となった中村小太郎時長を祀る小太郎明神としてその後伝わり、現在は中村城跡に建立されていた場所から大正2年5月に遍照寺の境内に中村城を建てたとされる伊達氏初代の中村朝宗を祭神とし歴代の中村氏の人々を祀る社として移築された[20]
中村神社(中村大明神)
宇都宮氏の家臣として宇都宮に移り住んだ中村氏の館跡に建つ中村神社は江戸時代の創建(宇都宮市戸祭元町)[注釈 11]

  1. ^ 丸に剣片喰(まるにけんかたばみ)は、日本の家紋「片喰・酢漿草(かたばみ)紋」の一種である。
  2. ^ 尊卑分脈』では藤原朝宗
  3. ^ 中村郷土史・芳賀郡南部郷土誌では朝宗の子・宗村、伊達氏側史料では朝宗とされる。また『伊達氏と中村八幡宮』では、伊達氏の始祖が宗村では『尊卑分脈』の藤原朝宗に系図を繋げられないから、中村常陸入道念西を朝宗としたのではないかとの説を掲げている[10]
  4. ^ 吾妻鏡』は、念西の次男を常陸次郎為重とする。ただし、中村郷土史・芳賀郡南部郷土誌では念西は宗村とされているので矛盾はしていない
  5. ^ 源義経の子という伝承がある。
  6. ^ 『中村沿革』によると伊達行朝伊佐城高師冬に攻め込まれたさいに討ち死にしたとされている。
  7. ^ 水谷側の資料「水谷蟠龍記」には父の治持が玄角を討取ったとあり、「寛政重修諸家譜」の治持の譜文に、猿山の合戦後、中村十二郷が結城水谷領になったとある。猿山合戦は大永6年(1526年)であるので、この年が廃城と考えられる。
  8. ^ 地元遍照寺 (真岡市)の口伝では時長は伊達氏を頼って米沢へと逃れた中村日向と名乗ったとあるが、伊達治家記録によると家臣として記録される伊達氏家臣中村日向家は伊達家家臣として5代目まで新田の姓を名乗り6代目の中村日向成義に至り4代藩主伊達綱村元禄3年9月招かれ中村の姓と雲次の佩刀を拝賜と記録されており「性山公(輝宗)治家記録」の功「今新田ヲ称スル事ヲ憚リ玉イテ元ノ御氏中村を賜フ」とあり、中村日向守小太郎時長と、新田氏族の後の中村日向が同じ中村であるが故に中村日向と混同して伝わったと考えられる
  9. ^ 中村家は平成30年(2018年)現在、宇都宮市松原で存続している。
  10. ^ 宇都宮市の戸祭山にある中村氏の舘からは鬼門の位置に当たる曹洞宗の寺院。
  11. ^ 2017年現在、中村氏は松原(旧戸祭村)に存在し館跡は栃木放送の駐車場の一部になり正門や神社、石倉の一部の遺構のみが残ってる。
  1. ^ 新編常陸国誌』や『梁川八幡神主菅野氏系譜』『梁川町史』5所収、梁川八幡神主菅野氏系譜
  2. ^ 尊卑分脈』。ただし前田本では従四位上とする。
  3. ^ 茨城県教育委員会 伊佐城址
  4. ^ 梁川町史』5所収、梁川八幡神主菅野氏系譜
  5. ^ 真岡市史第6巻真岡地方の寺社「伊達氏発生伝説の世界」
  6. ^ 真岡市史案内6号P139「伊達氏発生伝承」
  7. ^ 真岡市史案内第4号P71「中村城」
  8. ^ 真岡市史案内第4号P67「中村城」
  9. ^ 栃木県の家紋と姓氏(日本家紋研究会)P46「中村氏」、栃木県立図書館所蔵資料
  10. ^ 中村八幡宮 1989, p. [要ページ番号].
  11. ^ 『下野史談』第1巻第6号「中村郷土史」P15
  12. ^ 『下野史談』第1巻第6号「中村郷土史・中村」の項 P15-16
  13. ^ 真岡市史案内第4号・P69「中村城のこと」
  14. ^ 福田勝美著/戸祭元町今昔 宇都宮市立中央図書館所蔵資料宇都宮市立図書館資料詳細書誌番号:2402011
  15. ^ 福田勝美著/戸祭元町今昔「戸祭元町中村家」 宇都宮市立中央図書館所蔵資料宇都宮市立図書館資料詳細書誌番号:2402011
  16. ^ 第7回衆議院議員総選挙栃木地区
  17. ^ 近代系図 船田元
  18. ^ [1] 衆議院 第155回国会 農林水産委員会 第4号(平成14年11月7日(木曜日))
  19. ^ 真岡市史案内第4号・P73「中村氏の墓所」
  20. ^ 伊達氏の源流の地P78「中村小太郎神社・中村大明神」
  21. ^ 真岡市遍照寺公式サイト 真言宗如意山寶珠院遍照寺記念物詳細





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