世界創造紀元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 16:34 UTC 版)
重要な年
- 元年:天地創造の年とされた。
- 4755年 (紀元前753年) :ローマ創建。
- 4841年(紀元前667年):ビュザンティオン創建。
- 5502年(紀元前6年)頃:イエス・キリスト生誕。
- 5541年(紀元後33年)頃:イエス・キリスト刑死と復活。
- 5838年(330年):コンスタンティノポリスがローマ帝国の都となる。
- 5888年 (380年) :キリスト教がテオドシウス1世のローマ帝国の国教となる。
- 5903年 (395年) :テオドシウス1世の死後、ローマ帝国が東西に分割される。
- 6045年 (537年) :ユスティニアヌス1世が勅令で世界創造紀元による年代表記にインディクティオの使用を義務付ける。
- 6118年 (610年) :東ローマ帝国の公用語がラテン語からギリシア語に変更される。
- 6496年(988年):世界創造紀元がはじめて公式に使用される
- 6562年 (1054年) :東西教会の分裂:正教会とカトリック教会が分裂する。
- 6712年 (1204年):第4回十字軍によるコンスタンティノポリスの劫略。占領軍によりラテン帝国が樹立される。
- 6769年(1261年):東ローマ帝国の再建。ミカエル8世パレオロゴスにより、金地に双頭の黒鷲の旗が帝国の国旗として制定される。
- 6961年 (1453年):帝国の最終的な滅亡。
東ローマ人の世界観によれば、ローマはその建国から東ローマ帝国の滅亡まで約2000年続いたことになる。
東ローマ帝国の国教であった正教会では、この紀年法が帝国の滅亡後も長く使用された。ロシアでは西暦1700年まで世界創造紀元を使用していた。正教会の幾つかの少数の教会では、現在も使用されている(日本ハリストス正教会は基本的に西暦を用いている)。2023年は世界創造紀元の7531年から7532年に相当する。
- ^ この算定に使用されたのは、ヘブライ語聖書ではなく、ギリシア語七十人訳聖書である。ヘブライ語本文に基づく算定と七十人訳に基づく算定では1000年以上の開きが生じる。
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